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Music People Vol.70 元晴

吹奏楽部をつくろう!


『吹奏楽部の強豪高校に行きたい!』という願いを三者面談の時に初めて両親に伝えた。そして『高校までは地元で!』ときっぱりと断られた。地元に普通科は一校しかなく選択の余地は無し。そしてその高校に吹奏楽部は無い。高校は楽園だった。毎日夜遅くまで友達と遊んだ。楽しい2年が過ぎようとしていた時に思い出した。吹奏楽部をつくろうと思ってたんだ。どうしたら良いかわからず、先ずは校長室に行って相談してみた。『校長先生、吹奏楽部をつくりたいんですけど。』校長先生はテンションが上がって『わたしもどうして吹奏楽部が無いんだと思っていたんだよ。実はわたしはこの高校の出身で、その頃は吹奏楽部があって、わたしも部員だったんだよ!』と言ってその頃の写真を見せてくれた。これは話が早い!来年から吹奏楽部が始まると信じて疑わなかった。

春休みが明け、3年生になってすぐに校長室に向かった。校長室の名札が知らない名前に変わっていた。後で知ったが前の校長は定年退職になっていた。恐る恐るノックし、中に入って『前の校長先生と吹奏楽部をつくる話になってたんですけど…』と言うと『いや聞いてませんね。』経緯を説明しても『いや聞いてません。』を繰り返すだけ。まさかの展開に一瞬キョトンとしてしまったが気を取り直して『吹奏楽部をつくりたいです。つくっていいですか?』と言うと即答で『ダメです。』『建物の造りがマッチ箱のように四角いですから、一階の端の教室で音を出しても三階に聞こえてしまいます。この学校は進学校ですから勉強の邪魔になります。』そして校長先生はこう言い放った『わたしは吹奏楽部が大嫌いなんです。』この一言でオレの心は燃え上がった。

春休みになる前にいろんな人に声をかけて部員を20人くらい集めていたし、みんなオレが吹奏楽部をつくると言っているのを知っていた。入部を希望した3年生はオレも含めて5人。その5人で毎日校長室に通った。頭を下げてお願いしたりもした。校長先生の無下な態度に泣き出す女の子もいた。その涙に校長も少し怯んだように見えた。校長室を出たオレは『今の泣きは効果的だった。』と褒めたら笑っていた。一緒に闘ってくれる仲間ができてオレは嬉しかった。次の日からも5人で毎日のように校長室に通った。校長先生はダメな理由を言い始めた。『20人では創部をするには部員が少ない。』と。クラスでこのことを相談すると、友達が『部活には行かないけど幽霊部員になる!』と言ってくれた。名簿にはヤンチャな男子の名前が並んだ。新一年生も勧誘した。もう一つショックのことがあった。音楽の先生に相談したら『部活はやりたくない。』と言われた。この話を聞きつけた数学の高井先生が『オレがやる!』と名乗り出てくれた。強い援軍を得た!


ある日の朝礼が終わったあと、担任の先生に呼ばれた。『今朝の職員会議ですごいことがあったぞ!体育の先生と古文の先生が中心になって校長先生に、生徒達が一生懸命にやってるのに何で無下に反対するんだと、詰め寄る勢いで言って、他の先生もみんな賛同してな。オレ感動したよ。』って、『応援するから頑張れ!』って言ってくれた。数学の高井先生に呼ばれた。『部としてはどうしても認められないと、本当に意固地な校長先生だ。でもな、オレも何とかしたいと思って、だったら局ならどうだとしつこく交渉していいってことになったんだ。』釈然としなかったが、数学の先生に『大きな一歩だから、局から始めて、いつか部にしよう。』やることは一緒だ!めでたく吹奏楽局が誕生した!公認の幽霊部員を除いても楽器をやるメンバーが31人集まった。トランペットが1人だけ。初めて楽器をやる子もいる。補欠なんていない。全員が第一期吹奏楽局員!

ちなみに、応援してくれた先生にお礼を言いに行った時に、大人しいタイプの古文の先生が『オレも卓球部をつくりたいと思ってる。』って言うので、友達とみんなで部員として幽霊部員登録して、卓球部はいとも簡単に創部となった。一方、吹奏楽への校長先生の反対は続いた。『部室は無い。学校では音を出したらダメ。』と。親父が働いている会社の関連企業の家具屋さんの空き倉庫を紹介してくれた。四面コンクリート張りで異常な音の跳ね返りと残響だった。けれどワガママは言ってられない。ありがたくお借りすることになった。


一つずつ問題をクリアして校長先生に報告に行く。すると校長先生は悔しそうに険しい顔をして、何か他に無いかと考え、反対の案が浮かぶと嬉しそうに言ってくる。『予算は一切ありません。楽器も無いですね。』とニヤリと笑う。数学の高井先生が動いた。市内の小学校と中学校に連絡して、使っていない楽器をどんな状態でも良いから貸してくださいとお願いしてくれた。すると、カビの生えた楽器や錆びついた楽器、音の出ない楽器ばかりが各種集まって来た。それを地域にたった1人しかいないリペアマンが無料で全て音が出るように直してくれた。


数学の高井先生がみんなの前で言った『コンクールに出ないか?!この曲がやりたいんだ!!』、知らない曲だったけれど、誰も異論反論できる余地が無い勢いを先生から感じた。そしてコンクール出場の新たな目標ができた。四面コンクリートの中での下手くそな合奏は凄まじい残響を残す。4.5秒、それ以上の長さの、不協和音の渦。そして日が経つに連れてその不協和音が少し整っていくのを感じた。

地区大会の当日。校長先生と一緒に反対の姿勢を取っていた教頭先生が観に来てくれて『頑張ってください!』と応援してくれた。みんなで頑張って見事に金賞を受賞し、地区の代表として北海道大会への出場を決めた!嬉しかった!教頭先生が『おめでとう!』と笑顔で言いに来てくれた。そして言いにくそうに『北海道大会出場は無理だと思います。』と言った。教頭先生は大変なんだなと思った。


学校に戻って校長室に報告に行くと、案の定『北海道大会に出場するのに、交通費も宿泊費も無いから、出場は無理ですね。』と。親父が高校の同窓会に掛け合ってお金を集めてくれて『お金の事は心配するな。』とバスも手配してくれて自ら運転手をやると言ってくれた。

校長先生に報告すると追い詰められた表情を見せて黙った。校長先生から校長室に呼び出しがあった。初めてのことだった。校長先生は笑顔だった。よく頑張ったねと、いつかは応援してくれるという期待がいつも少しはあった。今までで1番の笑顔で言った。『北海道大会と2年生の修学旅行が同じ日になってしまいました。これはもう、無理ですね。』勝利宣言のような目付きで睨まれた。数学の高井先生にそれを報告したが、もちろん知っていた。悩んだ末に、高井先生が吹奏楽連盟に電話をして、状況を説明すると、出番を朝イチの1番目にしてくれて、2年生は演奏が終わってすぐに移動すれば札幌駅で修学旅行に合流できる!というプランを立ててくれた。もう校長先生が反対する材料は残って無かった。


北海道大会の1週間前の合奏練習。四面コンクリートの部室にいつまでも聴いていたい美しい残響が響いた。そして北海道大会の本番のステージで快心の演奏をすることができた。

演奏後すぐに2年生を見送り、2年生は無事に札幌駅で修学旅行に合流!1年生と3年生は会場に戻り結果発表を聞いた。少ない人数の編成の部へのエントリーでは、北海道大会より先の大会、全国大会などが無く、ここでの金賞が最高な賞ということになる。『名寄高校 金賞!』と手が上がった。人前をはばからずに嬉し泣きしたのはこの時が初めてだった。2年生の宿泊先に金賞受賞はFAXで伝えた。電話の向こうで大喜びしていた。


卒業間近の冬、校長先生が実家の飲み屋に飲みに来て酔っ払っていた。みんなに『我が校の吹奏楽部が創部初年度で北海道大会で金賞を獲ったんですよ〜』と自慢していた。一瞬えっ?と思ったけど、大笑いしてしまった。そして逆境を与えてくれてありがとうって気持ちになった。

無いところに有るべきものを作る。これはその後の人生にも大きな影響を与える経験になりました。







Love Theme from Spartacus (スパルタカス愛のテーマ)


元晴(MOTOHARU FUKADA)
バークリー音楽大学卒。国内外 (海外5大陸 33カ国 70都市) にてライブ活動。英BBCラジオWORLD WIDEアワード2005受賞。Jazz Japanアワード2011受賞。NHKトップランナー、紅白歌合戦、Mステ出演。リオ・オリンピック閉会式レコーディング参加。
ジャムセッションmusic lab./ Battle Of Study主催
ビュッフェクランポン/ カイルベルト/ アンティグアエンドーサー
名寄高校在学時に吹奏楽部を創部
北海道名寄観光大使

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