現在取扱い楽譜数:ロケット出版2,386件
国内楽譜198,789件、 輸入楽譜55,684件

Music People Vol.69 田中 滉之佑

プロになろうと思ったキッカケと、自分の名前から取る音楽家としてのこれからの目標


まずは楽器を始めた経緯についてお話ししましょう。
実家は佐賀県の農家で、父親も農協で働いています。幼少の頃は『グランツーリスモ』というゲームから大の車好きになり、将来の夢は「レーシングドライバー」でした。当時、九州の「モーターショー」や「GTグランプリ」があれば必ず行っていました。


そんな中、僕が最初に手にした楽器は「アコースティックギター」でした。小学校4年生の頃、いつものように近所のショッピングモール「ジャスコ」に母親のお買い物についていき、2階にある島村楽器に立ち寄った時に、母親が「ギターやってみたら?」との一声から次第にギターをやってみたいなと思うように・・・ある日自分から「ギターが欲しい」と言い出し、子供用の小さな格安のサンバーストカラーのギターを購入してもらいました。

それから約3年ダラダラと練習したり、お知り合いのギターが弾けるおじさんにレッスンを受けたりしました。それでもあんまり音楽は乗り気ではなく、車の方が好きでした。


その後中学校に入学し、友人の「福山聖治(まさはる)」君の誘いで吹奏楽部に入ることになりました。はじめはバリトンサックスに一目惚れし、1週間の体験入部はほとんどサックスを吹いていました。しかし3年生の先輩にすでにバリトン担当がいて、吹奏楽にバリトンは2人も要らないとのことで、吹き方が似ているクラリネットに配属されました。

そこの吹奏楽部は結構強く、マーチングでは全国大会に行くほどでした。それでもまだあんまり音楽は好きではなかった気がします。そして3年生も引退、クラも少し好きになってきた頃、顧問の先生から呼び出され「バリトンが吹けるのか?」と思いきや言い渡されたのは「ユーフォニアム」。またもや望んだ楽器ではなかったので、はじめはやはり嫌でしたが、吹いていくうちに「この楽器面白い!」と思うようになりました。

しかしすぐにバンド指導の先生から「このバンドは低音が足りない。テューバをもう一本増やした方がいい」とのことでテューバに配属。サックスからどんどん遠ざかっていきます(笑)ここからテューバとの運命が始まるかと思いきや、事件が起きます。2年生の吹奏楽コンクール約1ヶ月前に、僕の代わりにトランペットからユーフォに配属されていた先輩が退部。急遽先生から最後のお願いとのことでユーフォへ。その後大会が終わりマーチングの練習に入った時に正式にテューバへ。その時に初めて先生が自由に選んで良いと言われました。


ユーフォもテューバもその時は好きだったのでものすごく悩みました。しかしその後テューバを選んでよかったと思う出来事があります。現在広島交響楽団テューバ奏者の古本大志氏との出会いです。2年生の秋「ザ・トロンボーンアンサンブルマイナーズ」の方々がコンサートのリハーサルで中学校をお使いに。そして校内でプチコンサートを無償で開いていただきました。

その時のプロの方々のトロンボーンとテューバの音、演奏を聴いて、「なんだこれは!!!!」と衝撃が全身を駆け巡り、気がついたら鳥肌がたっていた記憶があります。たまらず古本先生にレッスンをお願いしました。

それからその他のプロ、海外の奏者の演奏動画を聴きあさるようになり、気付いたら3年生の秋に佐賀のソロコンクールで金賞、2つの高校から推薦をいただき、テューバ奏者としての人生を考えるようになりました。それでも不安しかないそんな時に再度マイナーズコンサートにて古本先生にお会いでき、プロの凄さを再確認。プロになろうと決断しました。


それでは僕の名前について。
僕の「こうのすけ」とういう名前の由来は2つあるそうです。1つ目は父親が提案したそうですが、松下幸之助さん(発明家、経営者、パナソニック創業者)のような賢い人になってほしい、という願い。2つ目は母親。坂崎幸之助さん(有名ロックバンド『THE ALFEE』のギタリスト兼ボーカリスト )のようなイケメンになってほしい、という願い(*母親が大ファンで車の中はALFEEのCDしか流れない程)。ちなみに友達の福山君の名前も、福山雅治さんが大好きなお母様がつけた名前みたいです(笑)

そこでひとつ気になるところ。なぜ漢字は「幸之助」ではないのか・・こちらも理由があるそうです。まずは実家が農家というのもあり、父親の候補は「耕之佑」。もしこの漢字だったら苗字が「田中」ということもありお米の栽培に人生を捧げていたかも知れません(笑)次に母親の提案で「滉之佑」。この「滉」という字を横に倒すと、水の上に日が光っているという様子。つまり中国の海は東側にありますから、水平線の上にある朝日、ということです。


込めた願いとしては「広く大きい夢を持ってこれから登っていく光り輝く存在になってほしい」、とそんな意味があります。以上から、ほぼ母親の意見ということが分かりますね(笑)そしてあわよくばギタリストになってほしいと思っていたそうで、ギターを購入したのも母親の術中だったというわけです!

ここからは僕の解釈ですが、アコースティックギターもテューバも伴奏楽器で、目立つより引き立て役です。太陽を美しく魅せるには広大で深く青い透き通った海が必要です。輝く太陽とそれを引き立てる海。滉「之佑」、つまり之を佑ける訳ですから尚更です。また人の夢を佑けるとも捉えられます。つまり、未来を担う子供達に大きな夢を与えたり、支えられる存在。あの日僕に、もの凄い衝撃を与えて下さった古本先生、そして大学から現在プロになるまでリードして頂いた大塚先生は、もちろん今でも僕の憧れです。
これを目標にこれからも日々精進し、突き進んでいきます!





田中 滉之佑【たなか・こうのすけ】

佐賀県佐賀市出身。13歳よりテューバを始める。
武蔵野音楽大学音楽学部器楽科を卒業。同大学卒業演奏会に出演。尚美ミュージックカレッジディプロマ修了。
第7回秋吉台音楽コンクールテューバ部門第3位受賞。2019年Music System Italyに参加。
これまでにテューバを、大塚哲也、古本大志に、室内楽を丸山勉、橋本洋の各氏に師事。
現在、フリーランスのテューバ奏者として、都内外のプロ楽団に客演、ゲーム音楽の録音に参加するなど、多岐に渡り音楽活動を行なっている。

コメントを残す

コメントは承認され次第、表示されます。

最近チェックした商品