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Music People

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音楽の先生、吹奏楽顧問の先生、作曲家、演奏家、プロデューサー….様々な方々のお陰で「音楽」が支えられています。音楽現場で仕事をしている方々からの熱いコラムを毎月アップしていきます。


小林恵子 小林 恵子 氏「東京吹奏楽団正指揮者 日本ウインドアンサンブル《桃太郎バンド》首席指揮者」

 私は吹奏楽が大好きで究極の吹奏楽マニアを目指しています。でも最初は単なる『吹奏楽コンクールオタク』からのスタートでした。


服部 恵 服部 恵 氏「パーカッショニスト」

 音楽のはじまりは幼稚園。幼稚園で歌った曲を、帰宅してはおもちゃのピアノで弾いていたそうです。しかも和音つきで。それを見兼ねた両親が親戚の家からピアノを送ってもらい音楽との出会いが始まりました。そして、運動会の時、3つの太鼓がついたトリオドラムを叩く事となり、今となっては、これが私の原型ともいえる打楽器の初舞台だったのでしょう。


木尾圭佑 木尾 圭佑 先生「神奈川県 川崎市立高津中学校吹奏楽部 顧問」

 私にとって吹奏楽の原風景は、中学1年の時に先輩たちが出場した東関東大会のステージです。自由曲「with heart and voice」を演奏する先輩の姿、曲の持つ雰囲気、顧問の先生の指揮、全てに魅了されました。


飯島泉 飯島 泉 氏「シエナ・ウインド・オーケストラ クラリネット奏者」

 アタシは『北海道』生まれの『九州』育ち。幼少期を『北海道』で過ごし、父の転勤で、大自然『大分』で子供時代を過ごしたわけ。大らかであったかい両親の元、5歳下の弟と共に、山あり海あり、とにかくヤンチャに育ったアタシ。


本田丈和 本田 丈和 氏「キングレコード(株) 制作プロデューサー」

 「せっかくお声かけ頂いたのに申し訳ないですが、その日は別現場が入っていてそちらには伺えません・・・」 当時まだ私が駆け出しのディレクターだった頃、担当していた"ROTTENGRAFFTY"というバンドが千葉のbayFMの番組にゲスト出演することが決まったのだが、親しくさせて頂いていた番組DJの中村道生さんから直接携帯電話にこっそり連絡があり「メンバーや宣伝担当、ラジオ局のスタッフにも内緒で、サプライズでスタジオに乱入して、一緒に番組に出演してくれない?」との提案だった。


緑川裕 緑川 裕 先生「千葉県 柏市立柏高等学校 吹奏楽部顧問」

 私の記憶にある最初の音楽は、両親が好きだった歌謡曲のテープを車の中で聴いていたという記憶があります。その影響か歌うことはとても好きな子供でした。


伊藤康英 伊藤 康英 先生「作曲家・洗足学園音楽大学教授」

 ぼくは、吹奏楽の指導をしているといつも「声楽は素晴らしいよ」「歌だったらこんなふうに表現するのに」と言う。


波田野直彦 波田野 直彦 先生「The Wind Wave音楽監督・玉川学園講師・玉川大学吹奏楽団顧問」

 私は10年ほど前から台湾に行くようになりました。台湾の吹奏楽、マーチングバンドはこの10年で著しい発展をしています。その中で忘れられない1コマがあります。


助安由吉 助安 由吉「ミュージックエイト創業者」

 本来であれば、50周年を迎えるご挨拶は、株式会社ミュージックエイトの媒体上で全国のバンドの皆様に直接お礼を申し上げるべきだと考えておりました。しかし、ミュージックエイト現社長より「ミュージックエイトから離れてくれ」との要請があり、不本意ではありますが私、助安由吉は2015年6月1日をもってミュージックエイトより退任することになりました。そのため、これまでご愛顧いただいた皆さまに対してミュージックエイトの創業者がミュージックエイトの媒体でお礼をお伝えすることのできないという異常事態に陥り、皆様を混乱させてしまいましたことをお詫び申し上げます。


殿塚利江 殿塚 利江 先生「東京都 大田区立大森第六中学校 主任教諭」

今年が27年目、現在の学校が5校目です。 大学での専門はピアノ。吹奏楽の経験がほとんどないまま、中学校音楽科の教員となりました。音楽科だからと当然のように任された吹奏楽部。自分だって何も演奏できないのに、いったい何をどう教えればよいのか。


吉川和孝 吉川 和孝 先生「北海道 旭川凌雲高等学校吹奏楽部 顧問」

「みなさん、音楽はハートです!」師匠は昔と変わらず弟子に語りかけました。私は久しぶりの師匠の言葉に胸が熱くなり、涙がこぼれました。山本孝先生が東京音楽大学を去ることとなった最後の年である2013年、私は何度も師匠の最後となるコンサートを聴いたり、参加したりしてきました。その中の、第35回東京音楽大学テューバ・ユーフォニアムアンサンブル定期演奏会に現役とOB合同の演奏で参加、その打ち上げでの師匠の言葉でした。


近藤薫 ©188.CORPORATION+500G

近藤 薫 氏「シエナ・ウインド・オーケストラ クラリネット奏者」

私はシエナウインドオーケストラのクラリネット奏者です。そして、小学三年生の男の子のママです。どちらの私も本当の私。どちらの時間も大変だけど素敵な時間。この二役を与えられたことをとても幸せに思っています。今の私があるのはたくさんの方々の優しさ、たくさんの偶然、そして奇跡なのだと思います。


滝野恵子 滝野 恵子 先生「神奈川県 横浜市立田奈中学校吹奏楽部 顧問」

私が音楽を好きになったのは父の影響が強い。幼い頃家にはオルガンがあり、よく父の伴奏で歌っていた。父は私の声の高さにあわせて伴奏を変えてくれた。小学校2年生の時からマリンバを習い始めた。木のぬくもりが感じられる響き、温かい音色が好きになった。後から聞いた話では、小学校の教員だった母がリズム音痴だったので、私にはリズム音痴になってほしくないと思い、マリンバを習わせてくれたようだ。


高橋宏樹 高橋 宏樹 氏「作曲家」

音楽を奏でるときほとんどの人が「お客さんに感動を届けたい」と思って演奏していると思います(そう思って演奏していると信じたいですが・・・)。では感動をお届けする演奏って実際何をすれば良いのでしょうか?


土屋史人 土屋 史人 先生「静岡県 浜松海の星高等学校吹奏楽部 指揮者」

幼少の頃より歌うことが好きでした。小学生の頃は合唱部で活動し、浜松市児童少年音楽隊でもボーイソプラノを響かしておりました。当時、児童少年音楽隊に入団するためには「聴音」と「歌唱」の試験があり、楽譜を読んだり書いたり等の経験もなく、よく合格出来たものだと思っていました。入団後に指導の先生より「聴音は全然できていなかったけど、歌唱の時にとても良い声で気持ちよさそうに歌うから合格にしたよ」と伺ったことを今でも鮮明に覚えています。


熊代祐子 熊代 祐子 氏「シエナ・ウインド・オーケストラ トランペット奏者」

私は現在、シエナ・ウインド・オーケストラでトランペットを吹いています。コンサートにはたくさんの中高生が聴きに来てくれますが、私も同じように中学、高校時代は吹奏楽部に所属し部活に打ち込み、実り多き青春時代を過ごしました。その頃は将来自分がプロのトランペット奏者になるなんてとても想像がつかなかったものです。そんな私がトランペット奏者になるまでにどのような道のりを経て、何を考えてきたのか少し振り返ってみます。


若林愛 若林 愛 氏「木管五重奏カラフル リーダー」

中学の入学式へ緊張に包まれながら向かうと、会場には華やかなマーチが鳴り響き♪♪♪ その音に心を奪われた私は、すぐに吹奏楽部の門を叩きました。第一希望は打楽器、楽器体験で最初に持たされたのは大きなシンバル、当時背も低く痩せていた私の腕はプルプルと痙攣……シンバルを持っていられず「最初の挫折」。第二希望はサックス、サックスは人気楽器なので第二希望で体験に行った時にはすでにバリトンサックスしか余っておらず、また重さに「第二の挫折」。ウロウロしているうちに強制的に余り物だったクラリネットに決定。


佐藤正人 佐藤 正人 先生「尚美学園客員教授・武蔵野音楽大学講師」

私の吹奏楽活動の道のりを、これまでに出会った私の音楽活動の原点といえる演奏を交えて紹介したいと思います。私が音楽と出会ったのは幼稚園でオルガン(当時は足踏みから電気で空気を送る方式に変わってきた)を習ったことです。小学校ではピアノを習いましたが、発表会がいやで2年続けて同じ曲を弾くくらいサボってばかりでした。


秋山紀夫 秋山 紀夫 先生「公益社団法人日本吹奏楽協会名誉会長」

フレデリック・フェネル(1914年7月2日〜2004年12月7日)彼の偉大な生涯とその功績の全てを書くことはほとんど不可能に思われる。しかし読者の皆様に彼のことをより深く知ってもらうために、ここでその偉大な生涯を5つの時期に分けて考えてみようと思う。


平川象士 平川 象士 氏「ドラマー(Gravitational Force Field、熱帯JAZZ楽団、オバタラ・セグンド、向谷実etc…)」

私はライブやコンサート、レコーディングなどでドラムを叩き、時折レッスンをしているプロドラマーです。 さて、吹奏楽部の若い学生などから「どうしたらプロになれますか?」「急にドラムセットを担当することになりました。どうしたら良いですか?」という質問を受けることがあります。今回は、そんな疑問をテーマとして私なりにお話をしてみたいと思います。


梅田隆司 梅田 隆司 先生「大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 総監督」

父は「関西ブラウン管製作所」という看板を掲げ、白黒テレビのブラウン管を家の工場で造っていた。やがてテレビがカラーに移行していく頃、大手メーカーの技術と大量生産についていけずブラウン管製作は廃業。社名はそのままに、細々と家電製品の販売修理業で母と私弟妹の4人を養っていた。その父から生前、音楽の授業で先生に皆の前で歌わされた話を聞いた。誉めてもらえるものと元気に歌ったのに「これが音痴の見本や!」と笑われたという。このことがトラウマだったらしく、私は生涯、父の歌声を聞いたことがない。


田嶋勉 田嶋 勉 先生「作編曲家・千葉県柏市立土中学校 教頭」

3 年前まであの吹奏楽で有名な柏市立柏高等学校に勤め、吹奏楽部の顧問をしていた。顧問は6人、部員は260 名の大所帯。部での私の役割は作曲と編曲と、そして指揮。年間およそ70 本の演奏会があるため、新たなレパートリーづくりのため、年がら年中作曲と編曲をしていた記憶がある。そして3 年前、春の人事異動で同じ市内の公立中学校に移った。「イチカシと離れたら作・編曲の仕事も減るかな?」と思ったのも束の間、異動後の方がかえって多いくらいで、今回のエッセイでは私の吹奏楽近作を挙げつつ、近況の報告としたい。


大川勝己 大川 勝己 先生「神奈川県立湘南台高等学校吹奏楽部 White Shooting Stars 指導者」

「見えるものしか聴こえないよ。聴こえるものしか見えないよ。」音楽と視覚効果を結合したイメージ表現を追求するマーチング指導で、私が常日頃、生徒に語る言葉である。優美さや安らぎ、激しさやスピード感、快活さや沈痛さ、あるいは飛翔感、等々。音楽がもつイメージをどのように[見てもらう]かを考え、音楽と視覚の相乗効果を求める。そんな" 欲張りなチャレンジ" こそがマーチングの醍醐味と言えよう。


井上学 井上 学 先生「大阪府 早稲田摂陵高等学校ウィンドバンド 指揮者」

満開の桜が散り、新緑が目に映える季節。中学校の木造校舎の二階理科実験室で、青白い坊主頭の中学生が試験官片手に実験に集中していた。今まさに化学反応で煙を発する直前、中庭と言われる池の側をブラスバンド部がパレードを開始した。「♪~プカプカドンドン~♪」




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