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29.吹奏楽は神さま

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



29.吹奏楽は神さま

 私の理想は、吹奏楽団に入り管楽器を吹くことでした。それは叶いましたが、楽器はトランペットでもなくトロンボーンでもありませんでした。一番最初はトロンボーンでも喜びもひとしおでしたが、街頭行進のとき、1人だけ背が低いと全体のバランスが悪いということになり、トロンボーンから外されてしまいました。最初は納得できませんでしたが、これに文句をつけることはあまりにもひとりよがりだと思い、あきらめることにしました。与えられた楽器はアルトホーンで目立たない楽器です。中音域を担当する楽器で、抱えて吹く楽器です。私は、演奏するときはトロンボーンで街頭行進のときにはアルトホーンを演奏したいなと考えていましたが、そんなわがままが通るわけもありません。ですので最初はモヤモヤとしていました。そこで私はひとつ抵抗を試みたのです。アルトホーンで演歌のメロディを吹いてみたのです。合奏場でもあり練習所で拭いたので誰も文句をつけることはできません。私がアルトホーンで演歌を吹くと、周囲で練習をしている隊員たちはみんなびっくりしていました。と言いますのも、メロディを吹くのは大体トランペットやクラリネットやサックスでほぼ決まっているからです。アルトホーンは中音で目立たない楽器です。後打ちだったりハーモニーだけだったりする楽器なのです。ですので私が突如演歌のメロディを吹き始めたので、この楽器でメロディを吹くことができるんだと皆びっくりしたのです。私は、目立たない楽器を与えられたので、こんな目立たないアルトホーンでもメロディは吹けるのだというところを見せたかったのです。その頃の私は、まだまだ自我丸出しで、協調性に欠けるところがたくさんありました。それでも16才から憧れていた吹奏楽団に入ったのだから、何ひとつ文句など言えるはずはないことは判っていましたが、入ってしまったら文句をつけたくなります。今考えると私の未熟さが出ていてとても哀れな姿です。
 相変わらず緒方隊長は、出張演奏を受け続けていました。私は演奏会はたくさんあるのが当たり前であり、ないと淋しいくらいだと思っていました。ですがもし隊長が緒方隊長でなければ、演奏会は1カ月に2~3回で、あとは駐屯地にいればよいのでそれはそれで楽しいだろうなぁとも思うこともありました。私は大大恩人の緒方隊長のところに来れたのですから、実際にそのようなことは口が裂けても言えないことです。
 私は夜学に通わなければなりませんでしたが、出張演奏をしている間は学校に通うことはできません。けれども学校側も自衛隊員であり、出張演奏が多いことも知っているので、学校に通えない時は、予習という形で勉強をするように、そして試験は学校に来たときにする・・・ということにしてくれました。私にとってはとてもありがたいことでした。ですので出張演奏をする時に持っていく楽器ケースの中には必ず教科書が入っていました。そして時間がある時は必ず教科書を取り出して勉強をすることにしていました。私の時間の密度は毎日毎日とても濃いものでした。
 今度の出張演奏は、山梨県を廻ることになっています。その中で、とある中学校から校歌の編曲の依頼がきていました。その頃は校歌の編曲は私ができるだけやり、手余りのときはクラリネットの上條士長がやってくれることになっていました。私は器用貧乏のような面があり、仕事は早く済ませることができます。ある程度、編曲に慣れてくるとコツが判ります。芸術性は要求されないのでなんとかなるのです。ただ1番大変なことは、40人~50人のそれぞれのパートを作ること、すなわち五線紙におたまじゃくしを書くことです。しかし新入りの音楽隊員でありながら、誰もができない編曲を任されることは私にとってとても嬉しいことだったのです。
 編曲も出来上がり、トラックが学校に近づいて行きます。その時とてもびっくりしたことがありました。生徒たちが道の両側に並んで音楽隊を迎えてくれたのです。皆がトラックに手を振ってくれているのです。この姿を見て私はまた感動を覚えました。そしてトラックは校庭に入り、大きな楽器ドラムやスーザーホーンをトラックから降ろして運動場のステージに置き演奏会が開始しました。始まる前に緒方隊長が「皆さんこんにちは。学校総出で私たちを迎えて下さりありがとうございました。こんなに暖かく迎えられたことは今までありませんでした。私たちも皆さんに喜んでもらうために一生懸命演奏をさせていただきます。音楽は人の心を和ませます。そして生きる力と喜びと心をひとつにすることができるのです。今日の皆さんの歓迎ぶりを見て、私たちは心から感動しました。校長先生を初め、皆さまのために心を込めて精一杯の演奏をさせていただきます」とこのように挨拶をしたのです。この挨拶を聞き、隊員の皆も私も本当に嬉しく思いました。私は緒方隊長の日々の行動を見て、人間の偉大性を感じていました。いつも自分のことだけでなく、周囲の人々の立場を考え、皆さんを活かすために精一杯の力を尽くしているのを感じ取っていました。どうしてこんなことが自然にできるだろうか、私にとってはまぶしいばかりの緒方隊長でした。演奏会の最後には校歌を生徒全員で歌ってくれました。もちろん私の編曲ですが、編曲が目立つことはありません。生徒の皆さんが歌うことが主題なので、これでいいと思っていました。それからその学校で吹奏楽をやっている生徒たちを集めてもらい、音楽隊員がそれぞれに楽器のアドバイスをすることになりました。これも緒方隊長の発案のようでした。生徒たちに演奏上で困ったことがあれば、何でも答えるようにとのことで約1時間ほどバンドの指導をしたのです。今までも吹奏楽のある学校の演奏会のときには、楽器のアドバイスをしてきたのですが、今回の学校も同じようにしていました。このバンドの指導をする緒方隊長を見ていると、単なる吹奏楽の指揮者ではなく、吹奏楽の伝道者ではないかと思うのです。演奏会をたくさんこなし人々に喜びを与える心の伝道者でもあると思いました。この学校からトラックに乗って帰るときも、全校生徒が並んで私たちに手を振って見送ってくれました。私たちが見えなくなるまで大きく手を振ってくれました。私はこの帰りにも大きな感動を覚え「吹奏楽ってこんなに人の心に影響を与えるものなんだ」と思うと、吹奏楽に神さまが宿っているのではないか、いや神さまそのものかも知れないと心底から思うようになりました。


 



助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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