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38.緒方隊長北海道へ

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



38.緒方隊長北海道へ

 緒方隊長は音楽隊全員集めて「北海道の帯広駐屯地に行くことになりました。長い間皆さんと共に吹奏楽を通して活動できたことを感謝します」と一区切りつけて、目には涙が潤んでいました。私が初めて音楽隊に来た時は長期の出張演奏でしばらく会えませんでしたが、毎日毎日が演奏と練習に明けくれたハードなスケジュールでした。こんなに多忙な音楽隊は全国にありません。何よりも緒方隊長が吹奏楽に情熱を込めていて、一般人と自衛隊を音楽によって結びつけるような考え方を持っていて、それを忠実に果たしているように思えるのです。体力も抜群であり、その行動力は並ではないのです。それは私が隊長付きで出張演奏の時に必ずそばに付いていなければならないのに、その動きについていくのは大変なのです。特に人に会うことが多かったのです。その後あいさつが続きます。
 「私は今度北海道に転属になりますが、後任の隊長が決まっています。W(イニシャル)一尉です。とても優秀な方ですので私のときと同様に力になってあげて下さい。私は今月をもって皆さんと別れることになります。家内も一緒に行くことになっています。北海道は九州育ちのものにとっては大変な寒さだと聞いています。何とか帯広の音楽隊の皆さんと一生懸命務めたいと思っています。本当に今迄私の無理を聞いてくれて、共に吹奏楽の発展に力を尽くしてくれたことに感謝します。本当にありがとうございました。」このあいさつを聞いた隊員たちは皆んな涙ぐんでいます。声に出して泣くことは許されていないので、心の中では大きな声をあげて泣いているのです。
 この北海道への左遷は音楽隊の最高幹部の意思であったことは音楽隊の皆さんは知っているので、一層悲しみがこみ上げてくるのです。それと後任のW氏の評判は大変悪く、われわれ音楽隊がついて行くのは大変難しいと誰も心の中で思っているのです。私が一番心を痛めたのは「南国土佐を後にして」の編曲をしたことです。これによって吹奏楽界の中心になる人に怒りを買っていたからです。これは特に難しい判断なのです。もし緒方隊長が「南国土佐を後にして」の曲を吹奏楽で発表しなかったら、北海道に左遷されることもなく東京にいることができたからです。しかしその場合は吹奏楽に歌謡曲が入らないために吹奏楽としては続くけれども大きな発展はなかったと思うのです。それとペギー葉山の歌で100万枚以上ものレコードが売れ、連日テレビ、ラジオで流れている「南国土佐を後にして」は日本国民の歌なのです。当時緒方隊長は知らなかったかもしれないですが、高知市出身の兵隊さん達が歌っていた歌なので、普通の歌謡曲と違い魂がこもっています。それを緒方隊長は敏感な人ですから、それを理解してあえて吹奏楽界から敵視されることを覚悟して思いきった決断をくだしたのではないかと思うのです。この曲を吹奏楽界がもし拒否をしていたならば変化のないまま沈滞ムードのまま進むことになります。現在の大発展は望むべくもないのです。しかし緒方隊長の大英断によって吹奏楽界に風穴をあけて、その後の吹奏楽界の大発展に結びつけたのです。これらの一連の出来事は今から57年前のことです。このような理不尽なことがあったことを吹奏楽に関係する人は知っておくことが大切だと思うのです。この真実を知る立場にあった私は本来ならば誰にも明かさずにこの世をさろうと思っていたのですが、どうしてもそれができなくなったことが起きたからです。それは㈱ミュージックエイトの50周年記念に合わせて創業者の私を解雇されて無給になったので、やはり吹奏楽の歴史を後世の人々に知ってもらう必要を感じたので、82才になりますが書くことにしたのです。

 第一管区音楽隊を退職することを決めたので、その時には緒方隊長は帯広の駐屯地にいましたので、その報告のために訪れたのです。退職をするので少し休暇をもらい実家に行ったあと帯広に行ったのです。2月の北海道は特に寒い季節です。緒方隊長夫妻は喜んで迎えてくれました。しかし自衛隊の官舎はプレハブ的な建物で部屋はとても寒いのです。電気ストーブを置いてあるだけの部屋だったので、服を脱ぐこともできません。奥さんは「助安さん寒い部屋ですいません。ゆっくりしていって下さい」と言ってくれたのですが、あまりに寒い部屋なので長居もできない位のところです。九州育ちの緒方隊長夫妻にとってはつらい生活ではないかと思いました。私のせいで北海道の酷寒の地ですごさなくてはならないことについて責任を感じたのです。北海道育ちの私でさえこの部屋にはいられない程なのです。そのあと緒方隊長は音楽隊員の皆さんに紹介するというので、30名程の隊員に会うことができました。地方でもあるので音楽隊員の人数は少ないのです。
 「皆さんこんには。第一管区音楽隊の助安です。緒方隊長には公私共に大変お世話になっていました。緒方隊長の馬力はものすごいものがあります。どうぞよろしくお願いします」とひとことあいさつさせて頂きました。これから外での訓練があるので外に集まって下さい。と言うことになり、30名が全員楽器をそれぞれ持って集まりました。皆んなぶ厚い外とうを着ています。東京では見ることはできません。そして管楽器のマウスピース(吹口)はそれぞれポケットに入れておくのです。楽器に付けておくと寒さのために唇がはがれるとのことです。それほど寒いのです。こんな中で演奏をするのです。この姿を見て緒方隊長夫妻の大変さが身にしみて知ることができました。吹奏楽を盛んにするために、それこそ身をけずっても全力をもって尽くしたにもかかわらず。東京という暖かい住みやすいところから、気に食わないからと言うだけで左遷という現実。私の心の中で泣く以外にありませんでした。この責任の一端は私にもあります。かと言って私はどうすることもできません。人々のお役に立つことをするには、このようなこともあるのだと知ることを理屈抜きに知ることができました。それからほどなく東京に帰ってから3月末で退官することを申請していたにもかかわらす、新たに東京本面音楽隊ができることになりました。私はそこに第一管区音楽隊から選抜されましたが、勿論緒方隊長のいない音楽隊にいることができないので、予定通り退官したのです。隊員の約半分はその時に退職しました。


 



助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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