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33.「南国土佐を後にして」の歴史編(3)

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



33.「南国土佐を後にして」の歴史編(3)

 「南国土佐を後にして」の成り立ちをテレビの取材で知ったペギー葉山さんは「もしこのことを知っていたなら私は戦争時代の子であるので、反対しなかったと思う」と後悔をしていました。これは単なる普通の歌ではなく戦争に参加したすべての軍人や家族に対する、日本民族の叫びの歌だったのです。
 300万人もの人々が戦争に駆り出されて戦死した粉塵や兵隊達は豚頭に喜んで死んで人ばかりではないと思うからです。国を思って死んだ人もいる反面、仕方なく戦争に参加させられてなくなった方はたくさんいる筈です。この第二次大戦の代表的な庶民の歌が「よさこい節」から自然発生的に生まれた「南国土佐を後にして」の歌ではないかと思うのです。そうでなければ日本人のすべての人々に共感を与えることなどできなかったと思うのです。
 勿論成り立ちの背後にはいろいろなことがありますが、基本的なところは人と人との蜜せつな関係によって紡ぎ出された軌跡の歌なのだと思えるのです。

 「南国土佐を後にして」を最初に歌ったのは昭和20年の後半に高知の歌手、丘京子さんです。そのあと民謡歌手の鈴木三重子さんがレコードにしたのです。そこでNHKが今度高知放送で歌う歌手を探していたところ、NHKのデレクターがジャズ・シンガーのペギー葉山さんを見つけたのです。この曲を歌えるのはペギー葉山さんしかいないと確信を持ったと思うのです。そのため何回も会って交渉をしましたが駄目でした。
 「私は今迄ジャズを江利チエミさんたちと共に歌ってきているのに、なんで私が民謡のような歌と歌わなければならないの?」疑問に思って断り続けていたのです。しかしNHKのデレクターは聞き入れてくれなかったそうです。
 仕方なく「今度海外での演奏会があるのでそれがおわったら」ということにして海外に出たのです。その時民謡歌手の鈴木三重子さんの1枚のレコードを渡してくれたそうです。これで曲を覚えてくださいとのことです。ペギー葉山さんはわかりましたと言ってそのレコードを聞いて覚えたとのことです。
 それでもどうしてもこの民謡調の歌はジャズと全く違うのでなんとか断ろうと土壇場まで考えていたのです。そして高知放送の時の大奇跡が起きたのです。
 当時としては爆発的なレコードの売上です。100万枚以上です。57年前のことです。この大ヒットによって「南国土佐を後にして」の曲の知らない人は日本にはいないと言われたものです。

 もう第一管区音楽隊の隊長であった緒方太助さんはもう亡くなられていますが、この「南国土佐を後にして」の成り立ちを知ったならば大感動したと思うのです。緒方太助さんも戦時中は軍楽隊として東南アジアで演奏活動をした体験をもっているからです。担当は打楽器でシロホンの名手であったそうです。特にウィリアムテルのシロホンは神がかったものがありました。終戦後は熊本交響楽団を立ち上げたり、そして自衛隊の音楽隊の隊長になられたのです。
 熊本交響楽団のその当時「五木の子守唄」を発掘して世に広めたのも緒方さんだったのです。
 私は緒方隊長から楽譜係を命ぜられた時一番心配だったことは、演奏を聞く人に喜んでもらえる曲が無いことです。クラシックの序曲とか円舞曲とか比較的に短い曲ばかりで、あまりなじみのない曲なのです。一番聞く人が喜んでくれるのは「日本民謡メドレー」のみです。このようなレパートリーの少ない中で毎回プログラムを組むのは大変な仕事なのです。
 そんなさ中に「南国土佐を後にして」の曲でなかったら多分OKしなかったと思うのです。きっとどこかで兵隊さんが歌っていたことを知っていたかもしれないのです。それと緒方隊長は感性の鋭いところもあるので、薄々は何かを気づいていたと思えるのです。
 なぜそのように思うかと言うと、それ以後私は何回も歌謡曲の編曲をしても1曲も取り上げてくれなかったからです。当時の吹奏楽界はクラシック音楽と決まっていたようです。私のような音楽隊の人はそんなこと知る由もありません。ただプログラムを組む立場にいる私に取りましては、お客様にどうしても喜んでもらえる曲を演奏する、それだけが希望だったのです。演奏会毎にプログラムを作りますが、ときには思い切ってあまり演奏のしていない曲をわざと入れるのですが、必ず緒方隊長は最後のチェックをします。その時は100%その曲ははねられて実際演奏することがありませんでした。
 私は16歳から管楽器を吹きたいという理想があり、ホルンという楽器を吹いて満足度は100%です。しかし私は第一管区音楽隊は中央音楽隊には負けるけど、日本で2番目に上手な吹奏楽団だと本気で思っているので、なんとかして聞く人々に喜んでもらう必要があるのです。
 しかしクラシック音楽ではどんな上手な演奏しても人々の心に届かないと僅かな体験しかないけども思うのです。それが「南国土佐を後にして」のたった1曲だけで吹奏楽界に火がついたのです。この曲がペギー葉山さんの独特な声の張りがあり、純粋さがあり、重みがあり、優しさがあり、何よりも人の心の奥にある情操の分野にあるところをトントンと叩いて人々の魂に揺さぶりをかける、まさに神さまの声のなせる技ではないかと思うのです。
 この為に全国的に大ヒットして全国民がこの曲はみんな知っているというところまでいったのです。この全国民の応援がなければ吹奏楽界に歌謡曲が入り込むことはこれまた100%無理だったのです。
 吹奏楽が現在のように発展できたのは、日本民族の救済の曲としての価値があったからだと思うのです。吹奏楽の発展することによって、小学校中学校そして高校生たちが身近に知っている曲を演奏する喜びが増え、心の情操部分から感動する体験ができたのです。


 



助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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