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32.「南国土佐を後にして」の歴史編(2)

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



32.「南国土佐を後にして」の歴史編(2)

 どうしてこの「南国土佐を後にして」のレコードが100万枚以上売れたのかを調べてみようと思っていたところ。テレビで放送され、そのことを詳しく取材されていました。57年前ペギーさんの歌ったときと第一管区音楽隊で初めての吹奏楽で「南国土佐を後にして」を演奏した時はだいたい同じ時代なのでその経過などはペギーさんも音楽隊長の緒方さんもそれは全く知らないことでした。この「南国土佐を後にして」の歴史を知ったのはテレビ放送で数年前のことです。この真実は全く驚くばかりでした。

 この経過をかんたんに説明させていただきます。なぜこの「南国土佐を後にして」の歌謡曲にこだわったかといいますと、この曲がもしなかったならば吹奏楽界に歌謡曲が入り込むことが不可能だったからです。もしそうならば吹奏楽界はクラシックだけの演奏団体として伝統を守って、それにしばられたまま現在までもそれが続いていることは間違いがありません。
 なぜそのようなことを自信をもって言えるのかというと、(株)ミュージックエイトという吹奏楽譜の出版社を1965年に創業したのが私だからです。スタートの時から吹奏楽の重鎮の方々は吹奏楽に歌謡曲やポップスなどを入れるのは絶対反対の立場をとっていたからです。決定的だったのは日本音楽著作権協会で出版社の出版を許可をする半官半民の公的な機関です。そのA理事長に証紙の件で相談に行ったとき「ミュージックエイトは黙って倒産してください」とこちらの問題も解決しようとせずに倒産を勧められたのです。詳しくはミュージックエイトのコーナーで書きますが、当時ミュージックエイトは独占で1社のみが歌謡曲を中心にした吹奏楽の楽譜を出版していたので、もし強制倒産したならば誰も手を上げてミュージックエイトのあとをつぐ会社など現れることは無くなります。
 力なき私がホルン3本のハモった体験を元にして人間教育には情操教育が特に大切だと思って小中高を中心に吹奏楽が学校に広まるのを楽しみでもあり、私の使命でもあるとの思いが、心いっぱいにあり、一生のしごとだと苦労しながら頑張ってきたのに、音楽普及の大責任者が倒産を勧めるので、もうこれで息の根が止まったと自覚したのです。こんな経過があるので「南国土佐を後にして」の本当のことが吹奏楽に携わっている人は知っていた方がいいと思いますので簡単にまとめて書いてみることにいたしました。

 「南国土佐を後にして」この歌は「よさこい節」をベースにして「鯨部隊」旧陸軍第40師団歩兵第236連隊、昭和14年高知県出身者を中心にし編成したのです。この兵隊さんたちが自然発生的に作ったのが「南国土佐を後にして」の歌になったとのことです。当時この鯨部隊にいた渡辺さん(94才)統治権長岡郡大豊町、この方がいろいろと教えてくれたとのことです。
 このことのすべてはテレビで放送されたものです。「南国土佐を後にして」は元々男歌なのです。兵隊さんたちが故郷を偲んで「よさこい節」を歌っているときにこの歌が生まれたとのことです。この歌を歌う時は内地のことを思い出して、とても懐かしさがこみ上げてくるとのことです。
 そして表現のできない悲しみがあったり、両親や兄弟姉妹や身近な人の思いが出て泪があふれることもあったとのことです。
 戦後鯨部隊の復員軍人が歌っていたのがだんだん広がっていったとのことです。この歌を高知の作曲家でもある武政英策さんが聞いて「これはええ歌じゃ」ということで作詞を直し、曲も自分のスタイルに直しそれを楽譜にしたのです。

 詞にはいくつもの手を加えています。
 中支(中国大陸中部)へ来てから幾歳ぞ → 都へきてから幾歳ぞ
 月の露営で焚火を囲み → 月の浜辺で焚火を囲み
 おれも負けずに手柄を立てて → わたしも負けずに励んだ後で

 戦時下の詞を武政英策先生は現代風に直したのです。
 当時は集団就職時代でもあり。ふるさとを思う時に明るい未来を思い描くようになったことは間違いありません。
 「南国土佐を後にして」のこのペギー葉山の透き通った歌声と日の魂を揺り動かすよう深い重みのある声とさらに暖かみのある両面を備えた歌手はペギー葉山さんしかいなかったと思うのです。NHKのデレクターさんがほれたのもうなづけます。
 東北の方から都会に就職した少年少女はこの歌によって大きな力を得たことは間違いがないと思うのです。
 歌によってふるさとの山や川や両親や兄弟姉妹たちや友だちや知り合いの人との思いがこみ上げてきて、感動を呼んだのです。
 「南国土佐を後にして」の作詞作曲、そしてペギー葉山さんの独特の歌声また根本は鯨部隊の兵隊さんが「よさこい節」を元に自然発生的に作った祈りの歌でもあり、ふるさとを思う歌でもあり、今迄お世話になった感謝の歌でもあり、要するに魂のこもった歌なのです。兵隊さんたちは赤紙一枚によって戦地に駆り出されて、いつ死ぬのかもわからない過激な運命の中にさまよった中から出てきた「よさこい節」であり「南国土佐を後にして」の歌なのです。
 この歌は単なる歌謡曲ではないのです。日本民謡を救う救済の歌だったのです。
 第二次世界大戦で約125万人も遺骨が収集されていません。そんな背景の中で生まれたのが「南国土佐を後にして」の魂のうたなのです。
 いつ死ぬかわからない中でのこの歌は兵隊さんたちの一刻の救いの歌であり、一刻の安らぎの歌だったのです。ふるさとを心の中で通じ合うための通信手段でもあったのです。
 十数年もの間中支の寒さにこごえながら明日への夢を歌に託す一人ひとりの兵隊さんたちのことを思うと言葉に出して何も言うことはできないのです。
 唯一兵隊さんたちは「よさこい節」を元にして作った自分たちの「南国土佐を後にして」が生きる力になったと思うのです。


 



助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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