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26.幹部の敬礼

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



26.幹部の敬礼

 ある日、練馬駐屯地で運動会が開かれることになりました。音楽隊は事務関係の付中隊と言われ、他の中隊より隊員の数は多いです。しかし過去にも運動会をやってはいますが、付中隊はいつもビリだったということです。全体の事務部門なので身体を鍛える訓練はしていません。ビリになるにはそれなりの理由があるとみんなは納得していました。そこに新しい中隊長が赴任してきました。そして「今度の運動会は駐屯地で一番にならなければならない」と宣言したのです。最初はみんな「そんなことできるはずない」と新任の中隊長のことをみくびっていました。身体を鍛えていない付中隊の人達がどんなに頑張ってみても勝てる訳がない…と音楽隊の人もみんな思っていました。しかし今度の中隊長は前の中隊長とはまったく意気込みが違っていました。今度の中隊長は本気です。「練馬駐屯地の全体をまとめていく付中隊が他の中隊に負けるわけにはいかない」と全体でのミーティング時に話をしていました。そしてこの中隊長が話したことは「まずは中隊長と隊員の信頼関係を築くことだ」と言ってひとり一人の写真を撮り、写真に名前を入れていました。ほとんどの人はこんなことをして何になるんだろうと思っていましたし、隊員の人数は約200名もいますので、どうせ覚えられるわけがない・・・と誰もが思っていました。特に音楽隊は普通の隊員とは異なり、演奏会で各地を飛び回っていますし、体力もあまりありません。ある時私は中隊長の部屋に呼び出されてびっくりしたことがありました。約200名もの隊員の写真が部屋中に貼り付けられているのです。このことを知った音楽隊員たちも今度の中隊長は本当に付中隊を運動会で1番にするつもりではないかと思い始めました。
 その後、付中隊の隊員が食事に行く時やPXという販売店に行くときなど中隊長に会うと顔を見ただけでフルネームで声を掛けてきました。外から見ればみんな同じ服を着ているので顔の見分けは難しいというのですが、中隊長はそうではありませんでした。私も食事の帰りに中隊長に会った時「音楽隊の助安由吉君」と呼ばれびっくりしました。このようにして付中隊の全員の名前を、顔と一致して覚えているのです。それと私は練馬駐屯地内を1人で歩いている時に幹部の人から先に敬礼をされてしまっていました。これには困りました。普通は幹部に対しては先に敬礼をするのが礼儀です。しかし私が敬礼をする前に幹部の方が敬礼をしてくるのです。幹部というと三尉・二尉・一尉(昔の軍隊では少尉・中尉・大尉)の人たちです。昔の呼び名で下士官と言われる人、三曹・二曹・一曹からは一度も間違っても先に敬礼をされたことがないのに、幹部の方はよく間違って先に敬礼をして、私の階級を見てへなへなと敬礼をした手を下に降ろすのです。何しろ私は駐屯地では一番階級が低い二士を2年、そのひとつ上の一士で約1年、退官する少し前に士長になってはいますが、ほとんどが最低の階級です。何故こんなことが立て続けに起きるのか全く解りませんでした。身体が大きければ少しは納得しますが、私は自衛隊に入れる身長の条件の155cmより1cmだけ高い156cmなので駐屯地では一番低いのです。それなのに幹部の方が何故間違うのか、下士官と言われる三曹から一曹の人は間違わないのにどうして・・・という疑問が湧いていました。もちろんそのことについては全く解らないまま退官してしまいました。
 そしていよいよ運動会です。なんと付中隊は驚くなかれ断トツで一番になったのです。中隊長が言われた「中隊長と隊員の信頼関係を築く」これが大きな効果を上げたのではないかと思いました。中隊長が私の名前「音楽隊の助安由吉」と覚えてくれるくらいですから、日頃接している事務部門の方々とのコミュニケーションは完全に取れていたのでしょう。人間関係の機微を知ってそれを実行した中隊長のおかげで、運動会ばかりではなくその後の付中隊の成績は全てトップになったとのことです。
 音楽隊といえども、駐屯地の夜間の警備に就く時があります。警備に就くときには銃と銃弾を与えられます。そして合言葉を教えられて警備に就きます。私にとっては初めてのことです。夜なので真暗闇ですが、朝まで我慢をする以外にありません。しかし警備なので、もし外から変な人が入り込んだなら銃で撃ってもよいということになっているので、眠たくてもうつらうつらすることなどは許されません。しかし音楽隊なので普段はこのような訓練はしていません。まさか北海道にいた時に吹奏楽の楽器を吹くようになりたいと思って憧れの吹奏楽の第一管区音楽隊に入隊したけれど、こんな危ない警備に就かされるとは全く思ってもいませんでした。もし本当に怪しい人が駐屯地に入り「合言葉」も判らない人だったならば撃ってもよいとのことです。新隊員教育隊の時に何度か実弾を撃ったことはあったものの、音楽隊に入ってからはそのような機会はなく、下手をするとこちらが殺されるかも知れないのです。このように考えると、安易な警備はできないと真剣に思い、真暗闇でも目をランランと光らせ、耳をそば立てて周囲に気を配っていた時に人が近付いてくるのが判りました。その人はどんどんこちらに近付いてきます。私はとっさに大きな声で「止まれ!」と叫びました。その人は私の目の前で止まりました。「合言葉は?」「・・・」もう一度「合言葉は?」「・・・」「後ろを向け」と言うなり私は急いで銃に弾を入れ込みました。そして背中に銃を突き付けました。その人は「俺は警備の見廻りに来た隊の者だ、合言葉は忘れた」と言うのです。「ではこっちを向いて顔を見せろ」と少し明るい方へ行ってもらい顔を確かめました。それは当直の幹部でした。私は急いで敬礼をし、合言葉を伝えて「気を付けて巡回して下さい」と言ってお送りしました。そして翌朝の朝礼の時に「音楽隊の助安一士の警備は見事だった」と皆さんに知らせてくれました。「本当に恐かった」とも言っていました。私の生真面目さが表れた一コマでした。


 



助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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