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25.ドラムセットの奇跡

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



25.ドラムセットの奇跡

音楽隊の練習場はとても大きな一棟を与えられていました。常時40~50人での合奏の練習場でもあり、それぞれ各自の練習場でもありました。大きな一棟とはいえ、それぞれの管楽器が思い思いの練習をするので、その音の大きさといったら大変なものです。練習とは雑音みたいなもので、いたたまれない程の音の交錯なので吹奏楽の嫌いな人ならば逃げ出したくなると思います。幸いにも音楽隊の人はみんな吹奏楽が好きで入っていますのでそのような人は誰もいません。私の場合は中学校を卒業してすぐの16才の時、北海道の旭川市の商工会議所の前、すなわち石狩川にかかっているアーチ形の旭橋のすぐ近くで初めて吹奏楽を聴き、そこから7年程管楽器を吹きたいと思い続けました。そして北海道の農家の長男が東京に行き、転々と職を変えながら一途に憧れ、遂に吹奏楽団に入ったわけなので、個人個人の練習の音は天界からの音楽のように聴こえてくるのでとても嬉しいひとときでした。練習の内容はロングトーンといって息が続く限り音を出したり、音階の練習はそれぞれドレミファソラシドと指や唇を使いながらの練習、またセクション毎、例えばトランペットのグループ、サックスのグループ、トロンボーンのグループ、クラリネットのグループ、そして私のホルンのグループなど毎日毎日演奏会に出かけない限りは朝から夕方まで続いていました。私にとりましては演奏会も練習も喜びの連続でした。憧れの楽器を持ち演奏することができるので天国のようでした。毎日が喜びの連続であり、夢が実現した姿なのです。その日も私はロングトーンと音階の練習が終わりひと息ついていた時、練習場の片隅に置いてあったジャズ用のドラムセットがふと目に入りました。私はなんとなくこのドラムセットに座ってみました。もちろんドラムなど一度も触ったことはありません。ドラムではメロディを奏でることはできないのであまり興味もありませんでした。しかしなんとなくジャズドラムのセットに座りアメリカのドラマー〝ジーンクルーパ〟になったようだなと一瞬思った時に奇跡が起きたのです。私の両手両足が勝手に自由に動き、ドラムの演奏会が始まったのです。自分自身で何かを考えているわけではありません。勝手に右足はドラムの大きい方を叩き、左足はシンバルを叩き、両手にはいくつかの小太鼓があり、さらにシンバルもいくつもあり、それらを上手に使っての独奏会が3分程続いたのです。周囲で練習をしていた人たちは全員練習を止めて私のドラムの独奏会を聴いていました。私はというと何も考えてはいません。両手両足のおもむくままに動かしているだけです。その手の素早さと足の素早さ、それとリズム感の素晴らしさ、その間の3分間位の私の意識はどこかに飛んでいて、全く自分でドラムを叩いているという意識はなく、ただ与えられている力に身を任せていました。周囲の音楽隊員はみんなポカーンとして唖然として見ているだけです。みんなは私がドラムを叩けないことは知っています。しかし現実にプロのようなドラムセッションを目の前でやっているこの助安は音楽隊で1番のチビであり、一番階級も下であり自衛隊の隊歴も短くとても目立たない人なのに、どうしてこのようなことが出来るんだろうと疑心暗鬼で見ているのです。しかしこのことについては誰ひとり何も言わず、その後もこのことについて触れられることはありませんでした。
 そののち、一人練習場に入ってドラムセットに座り、3分間の奇跡を期待して自分なりに両手両足を動かしてみましたが、もうその奇跡は起こりませんでした。その後も何回かやってみましたが、何の変化もありませんでした。あとから思ったことは、最初に座った時、当時アメリカのジャズドラマー〝ジーンクルーパ〟をイメージしたために起きたのではないかということです。そしてその〝ジーンクルーパ〟が私の中に入り、あの3分間の奇跡を起こしたのではないかと思うようになりました。私はドラムには何の興味もなく、一度も練習もしたこともないのにこんな奇跡が起こるなんてことは断じて無いからです。
 ある日、緒方隊長の指揮の元で練習をしていた時のことです。私はトロンボーンからアルトホーンに変わり、のちにホルンに変わったのですが、その時は古いアルトホーンを使っていました。旧陸軍時代の古い楽器なので音が安定していません。楽器の手入れをする時はピストンなどを全部ばらして綺麗に掃除をしなくてはなりません。そうしないと音が完全に出なくなったり、にごって汚い音になります。また掃除をしたすぐあとはスカスカな音になってしまい、良い音は出ません。その時もそんな状態の楽器で演奏をしていましたら、クラリネットの1番を吹いていた上條士長が目をパチクリし「お前の出している音が違う」と言いました。手入れの直後だったので楽器がそういう状態だったため、上條士長は指摘してくれたのです。この上條士長からは編曲をやるように言われたこともあり、私は上條士長に絶大な信用をおいていました。その上、絶対音感を持っていて音に対してものすごく厳しい方でした。私は絶対音感がありませんので、少しくらい音が違っていても気にはならないのですが、絶対音感がある人は少しでも音が合っていないと気持ちが悪いとのことです。私は音楽隊に入隊してから、音が合う合わないということについても上條士長から教わりました。そして楽器がホルンに変わったときに、このことが大いに役に立ちました。ホルンの音はバンド全体をほんわかと包み込んで、吹奏楽の全体の音に柔らかな味をもたせる重要な楽器です。しかし扱い方はとても難しく唇の一寸した動きで音がコロコロとすぐに変わってしまいます。ここでも上條士長が音の合わせ方を大切にしているということを身にしみて感じました。ホルンの場合は、一寸合わないのではなく、コロッと変わるので完全に音が変わってしまいます。16才の時、管楽器が吹けるようになりたいと思った憧れがここまで成長できたということについても感慨深いものがあります。


 






助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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