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Music People Vol.91 秋山紀夫

Music People Vol.91 秋山紀夫

 

「あたたかな情熱で吹奏楽を育て、心に寄り添った教育者」



日本の吹奏楽界に多大なご功績を残された秋山先生が、96歳にてご逝去されました。

秋山先生と40年にわたりご縁をいただいた者として、ロケットミュージック代表取締役 助安博之が、追悼の言葉を記させていただきます。

先生との想い出はあまりにも多く、とてもすべては書き切れませんので、中でも特に印象深いことをお話しします。

先生とは40年の付き合いで、私の「第2の父」でした。私が20歳の時、アメリカに行きたいと実の父親(ミュージックエイト創業者)に話したところ、秋山先生が私をSouthern Music Co.を紹介してくださり、大学を中退してアメリカ・テキサス州のサザンへ。日本人初の社員として8年間務めることになります。

サザンミュージックもテキサスも、日本人がまったくいない環境で、辛いことも多々ありましたが、それ以上に楽しいことが5倍ありました。テキサスの8年間の経験は、今でも私の人生の「核」となっています。サザンを紹介してくださった先生のお陰です。

28歳に帰国し、そのままミュージックエイトの代表取締役に就任しました(現在はM8を辞任し、ロケットミュージックを設立、代表として14年目になります)。20〜28歳、インターネットもない時代にアメリカで過ごし、日本の状況がまったく分からない浦島太郎状態でしたが、先生は毎月1回必ず飲みに誘ってくださいました。場所は新宿の日本料理「あみもと」。ここで吹奏楽のことから人生のことまで、本当に多くを教えていただきました。

たまには、当時大人気だった吹奏楽マガジン「バンドピープル(バンピ)」の編集長やスタッフ、作曲家、指揮者、さらには外国人の方々も集まりました。アルフレッド・リード先生やバーンズやMarine Band隊長など……毎月毎月、月末に必ず。15年間は続いたと思います。

ある時、先生とリード先生、私の3人で飲んでいた際、若気の至りで私が「Chicago Midwest(Band Clinic)は、もう15年連続行ってます!」と言ったところ「ハア?Toshio、 我々はもう30年以上だよな」とリード先生と2人でゲラゲラ笑われたこともありました。

リード先生、秋山先生と3人で日本でもたくさん飲みましたし、アメリカではもっとです。しかし、それがごく普通のことだと思っていたため、他の作曲家の先生方とも写真を撮ることがほとんどなかったのは、今思うと少し残念です。父親と一緒にいて写真を撮らないのと、同じ感覚でした。

さて、シカゴで開催されるMidwest Band Clinicは、今年で79年続く、世界No.1の吹奏楽大会です。多い年には3日間で2万人が世界中から集まる、まさに世界大会です。この大会には毎年先生が参加され、私もご一緒していました。秋山先生が展示場を歩くと、列ができるほど人が集まり前にまったく進めません。世界中の人が、先生と話したいのです。
そしてこの大会で、先生が毎回必ず行っていたのが、ホテルの部屋で開かれる「Akiyama Bar」。シカゴ滞在中、自分の部屋にさまざまな人を招き、カクテルパーティーを開くのです。時には、リード先生、バーンズ、マクベス、メリロ、デメイ、軍楽隊隊長たちが一堂に会することもありました。

そのため先生は、いつもワンランク上の広い部屋を自費で予約し、飲み物もすべて自費で用意していました。私には「ヒロちゃん(私)、つまみだけ買ってきて」と言われ、ビーフジャーキーやピスタチオ、チーズを買うのが、私の年中行事のようになっていました。私は、この「Akiyama Bar」がシカゴでいつも楽しみでした。
先生が亡くなる3日前、奥さまと長女のさやかさんと病院にお見舞いに行った時のことです。先生はいろいろと話されるのですが、聞き取ることができず、しかし私の話していることはきちんと理解しておられ、指でOK、NOを示してくださり、会話は成り立っていました。体は弱っていましたが、頭はしっかりとフル回転していました。

先生に「すみません、25年前にお預かりしていた『若木の白樺』の譜面、タイトルからして売れなさそ〜と思ってそのままになっていましたが、出版します」と伝えると、右指で「OK!」。
「先生、この病院を出たら、またシカゴに一緒に行きましょう!」と聞くと、なぜか困ったように反応がありません。半年前、喫茶店では「先生、まだシカゴ行けますよね?」と聞いたら「もちろん!」と即答されていたので、不思議に思いましたが、「ああ、今は奥さまと娘さんがいるから、ここでOKと言ったら大変なんだな」と、すぐに察しました。

また、先生が何か一生懸命話しておられるのですが、3人とも聞き取れず、何のことかと思ったら、奥さまに向かって「身体の調子は大丈夫?」ということでした。こんな時でも奥さまの体を気遣う先生。本当に、奥さまや娘さんを大切にされる方でした。

先生はアジア各国にも、ほぼ自費で足を運ばれていました。アメリカと同じく旅費もホテル代もすべて自分持ちです。アメリカ、日本で得た吹奏楽のすべてをアジアに還元する、それが先生の考えでした。そのため、アジアでの先生の人気はもの凄いものがあります。日本でもWarm-upなどを先生から学んだ人は何千人といると思いますが、アジアでも同じくらいいたのではないでしょうか。教則本も、たくさんアジアの方々に寄贈されています。

先生とアジアでの思い出です。晩ご飯が用意されているものと思っていたら、何の連絡もなく、先生とホテルでカップラーメンとビールだけ、という夜も何度もありました。それでも先生は、そうしたアジアの地で、根気強く吹奏楽を教え続けていかれたのです。

2019年3月のソロコンの際、昼近くに会場へ行ったところ、先生と台湾のバンドディレクターお二人にばったりお会いしました。先生が「寿司屋に連れていく」とおっしゃり、私もご一緒させていただきましたが、その際の寿司代は全員分、先生が支払ってくださいました。先生は、いつもこのようにアジアの先生方のことも、本当に大事に、大事にされていました。その時に撮った、私にとって「人生初の自撮り」となる、秋山先生とのツーショット写真も載せておきます。
「人生初自撮り」は秋山先生と!

先生は93歳の時、たった一人で台湾の野外吹奏楽大会の審査に行かれました。途中から雨が降り、大変な大会だったそうですが、93歳でも最後までしっかりと審査をしてくれたと、台湾の主催者が私に話してくれました。93歳で丸一日屋外にいるだけでも凄いことですが、審査までやり遂げるとは、本当に驚異的です。その大会の写真も添付します。
93歳、台湾の野外吹奏楽大会、雨、丸一日☔️

Chiayi City International Band Festival 2022, 台湾🇹🇼 雨の中、審査を完璧に。

先生がアジア各地で行ってこられた数々の活動は、特別に発表されることもなく、常に静かに、黙々と取り組まれてきたものでした。そのため、日本ではあまり知られていない部分も多いのではないかと思います。なぜなら、そうした活動は「金賞」や「銀賞」といった結果として示されるものでは決してなかったからです。メールでの数えきれないほどの質疑応答をはじめ、さまざまな対応に追われ、それはそれは大変なご苦労であったことと思います。

シンガポールや台湾でのコンサートのアンコールでは、誰よりも大きな手拍子を送り、満面の笑顔で体全体を使い、誰よりもノリノリで(時には真っ先にスタンディングもされながら)応えておられた先生のお姿が、今も鮮明に思い出されます。

先生は、Chicago Midwest Band Clinicにおいて、吹奏楽運動への世界的貢献が認められ「国際賞」も受賞されています。私は、それも当然だと思っています。これほど世界の吹奏楽に貢献した方は、他にいないと思うからです。

私は、先生を『二十四の瞳』に描かれる教師のように感じていました。教育者というのは、私のように欲がギラギラしていては務まらず、必要なのは「ボランティア精神」だと思っています。『二十四の瞳』は、主人公・久子先生の変わらぬ愛情と教育への信念を描いた小説ですが、先生もまた久子先生と同じく、まさしく「真の教育者」でした。先生には私心が一切なく、あるのはただ「教えたい」という気持ちだけ。21歳の若者が「先生、これを教えてください」と言えば、何の忖度もなく、全力で教える。それは先生にとって、ごく当たり前のことだったのです。宿命だと思っておられたのだと思います。

先生は、亡くなる1ヶ月前の先月11月にも「おおみや市民吹奏楽団」のコンサートで指揮をする予定だったそうです。体調不良で叶いませんでしたが、何歳になっても、まだまだ振るつもりだったのです。最後の指揮は今年7月でしたが、96歳でもまだまだ振れる、日本一元気なコンダクターだったと思います。

私がいつも思っていたのは、先生は「吹奏楽に毎日夢中!」だったということです。「毎日が吹奏楽」を96年間貫いた人生でした。去年、アメリカのKjos社社長が来日し、大宮の寿司屋で会食した際も、95歳の先生は、資料を詰め込んだ重い手提げを持ってバスで来られ(写真も掲載します)、その資料をもとに熱心に説明されていました。もちろん全英語です。私もKjos社社長も、学ぶことばかりで、まるで吹奏楽の楽しい勉強会のようでした。日本酒を2合飲み、また重い手提げを持ってバスで帰っていく。その姿を見て、「この方には敵わないな」と思いました。
去年秋、アメリカのKjos社社長と。95歳の先生、日本酒2合😳😳😳

先生が持ってきた資料いっぱい詰め込んだ重い手提げ😳

先生が書かれた『吹奏楽 昭和の資料集』は、2023年にロケットミュージックから出版させていただきました(この制作秘話を語り出すと、さらに文章が長くなってしまうため、ここでは割愛いたします)。「第32回日本管打・吹奏楽アカデミー賞」では、著者である先生が「研究部門」を受賞し、「制作部門」でロケットミュージックも賞をいただきました。その写真も載せます。ズーラシアンブラスも「演奏部門」で受賞し、オカピも一緒に写っています。

先生著『吹奏楽 昭和の資料集』(ロケットミュージック出版)。
書籍詳細はこちら↓

2023年「第32回日本管打・吹奏楽アカデミー賞」で著者である先生が「研究部🏵️」受賞。
「制作部門🏅」はロケットミュージックで、「演奏部門🎖️」はズーラシアンブラス。


そんな秋山先生と40年間ご一緒させていただきました。一言で言えば、「本当にかっこいい人生を歩まれた方」だったと思います。竹を割ったような性格で、人に優しく、ボランティアスピリットを常に持っていた人。私は先生と出会えたことを、心から幸せに思っています。

そして、これからの私の人生においても、先生から教えていただいた教育観、吹奏楽観、姿勢、そして無比の愛情は、すべて死ぬまで持ち続けていくものです。
先生、この40年間、本当にありがとうございました。
先生が蒔いてくださった吹奏楽の種は、これからも多くの人の心で生き続けます。
どうか、安らかにお眠りください。

撮影:佐藤正人先生。

円舞曲『若木の白樺』(Dreisen作曲/秋山紀夫編曲)。
ロケットミュージクより出版予定🚀

香港のMaryknoll Convent School (小学校部)に効果的なウォームアップを教えている
秋山先生の動画はこちら🎥🔽

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秋山紀夫プロフィール:
前ソニー吹奏楽団常任指揮者。おおみや市民吹奏楽団音楽ディレクター。ソニー吹奏楽団名誉指揮者。(社)日本吹奏楽指導者協会名誉会長、(社)全日本吹奏楽連盟名誉会員、アジア・パシフィック吹奏楽指導者協会名誉会長、WASBE(世界吹奏楽会議)名誉会員、浜松市音楽文化名誉顧問、アメリカン・バンド・マスターズ・アソシエーション名誉会員
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【文】
ロケットミュージック株式会社
代表取締役
助安博之
(アメリカ・テキサス州の「Southern Music Company」で、日本人初の社員として8年間勤務。帰国後はミュージックエイトの代表取締役を18年間務め、2011年にロケットミュージックを設立。現在ロケットミュージック代表取締役。楽譜出版シリーズの企画やCDプロデュースに数多く携わり、代表的なCD企画には「GOLD POP〜ジャズジャイアンツmeet吹奏楽」「ブラバン!甲子園」「ブラバンAKB48!」「GOLD POP〜服部隆之 吹奏楽作品集」「究極の吹奏楽〜ジブリ編」「IN吹奏楽 TVドラマ編」「ベスト吹奏楽!- アニメソング編」「GOLD POP〜ハリウッドシネマ 吹奏楽作品集」「ブラバン ゴールデンボンバー」「究極の吹奏楽〜夢の国編」「 究極の吹奏楽〜小編成コンクール編」「究極の吹奏楽~FUNKY植田薫&武商吹部 編」「究極の吹奏楽〜伝説編」「M8スタイル」「エムハチのブラバン!」「ウィンズ・フォー・ニイガタ」「ソロコンテスト・レパートリー・セレクション」「Chez M(シェ・エム)」「フルートのジブリ」「清水大輔 吹奏楽作品集 umi no oto」などがある。)

 

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