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37.打楽器へのあこがれ

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



37.打楽器へのあこがれ

 音楽隊に入ってしばらく経った時のこと、ドラムセットに座りいたずらっぽくスティックで叩いたり、足でシンバルと太鼓を踏んだりしていると急に手足が動き出して3分間位ドラムショーが出来たことを思い出し、ホルンから打楽器の担当に変更してもらおうと思い初めたのです。幸いにも緒方隊長は軍楽隊時代打楽器が専門だったので教えてもらえるのではないかと思ったからです。特に打楽器はリズム感がなくては演奏に参加することはできません。吹奏楽の基礎中の基礎でもあるのです。難しいけれど面白いのではないかと誰にも相談せずにまず基本である2本のバチを使ってトレモロの練習をしようと思ったのです。合奏場での普通の時間での練習は不可能です。さてどうするかを私なりに一生懸命考えに考え、ようやくその方法を見つけたのです。それは駐屯地の起床ラッパの鳴る1時間位前に起きて合奏場の近くに太い丸太が1本あります。その丸太を叩いての練習を初めました。初めは2本のバチがうまく動かすことができずに悪戦苦闘です。これは皆んなには秘密なので単独行動です。しかし普段の合奏場の練習や合奏はホルンです。特にホルンが嫌になった訳でもないのです。緒方隊長がこの音楽隊にいる間に打楽器の基本を習い打楽器で一本立ちになってみたい…とたったこれだけのことです。

 しかし1週間、10日と毎朝2本のバチを持って練習するのですが、一向にうまく叩けません。特にトレモロは両手のバランスがとれずにバラバラになるのです。特に有名なものはセントルイス・ブルース・マーチの小太鼓を使ったものです。なんとかこれをマスターしようと一生懸命自己流にガムシャラに練習するのですが、なかなか形にならないのです。
 小太鼓のバチ2本は自分で買ったのですが、人に見せる訳にはいきません。私学に行くときもカバンの中にバチが入っています。そしてそのバチに絶えず触れるようにするのです。このバチこそ自分の生命だと思って心の中では一人前のドラマーになったつもりで毎日を過ごすのです。
 そんな甲斐もあってか約1ヶ月練習を続けていると急に叩けるようになったのです。そうなるとあとは何曲叩いても理想通りにバチが動き、セントルイス・ブルース・マーチのドラムのソロが叩けるのです。全くド素人で無理だと思っていたことが約1ヶ月の自己流の練習であったのに奇跡のような形で小太鼓が叩けるようになったのです。早速今度は合奏場にある小太鼓を使ってのテストさせてもらったのです。新入りの打楽器の隊員は私のバチさばきがあまりにも上手なのでびっくりしたのです。しかしそんなこと何回もできる訳もなく、特に先輩の石山三曹の前では叩ける訳もないのです。

 そんな時大変なことが耳に入ってきたのです。「南国土佐を後にして」以来第一管区音楽隊は緒方隊長と共に自衛隊では有名になっていたのです。それが上司の妬みややっかみとなっていたことは薄々感じていたことですが、緒方隊長が北海道に左遷されるとの噂なのです。私としましては打楽器担当の件は完全に終わってしまいました。本当に北海道に飛ばされてしまうと今迄緒方隊長と共に苦労してきた音楽隊の人たちは大変なことになることははっきりと判ります。音楽隊の全員は緒方隊長を好きですし、信頼を寄せていたし、何よりも緒方隊長の暖かさが皆さんの心をひとつにしてくれていたのです。特に吹奏楽を愛すると言うけれど吹奏楽に生命をかけておられる人は日本には緒方隊長しかいないと思うのです。何故ならば日本中の音楽隊の中で演奏会が一番多いのはダントツで第一管区音楽隊です。要請があれば断ることなくすぐに応じたために大きな合奏場の壁一面に何段にもなって感謝状がかけられているのです。
 「南国土佐を後にして」の編曲は私がしたのですが、それを決断して吹奏楽界に新風を吹き込んだのは緒方隊長です。自衛隊の音楽隊は別にしても古くからの吹奏楽界を牛耳ってきた重鎮たちの反発は相当なものであると思うのです。
 北海道行きの噂はみんな知っていますが、噂だけで終わって欲しいなぁーと誰もが思っている筈です。私は楽譜係と同時に隊長付きを命ぜられていたので、出張演奏の時はいつもそばにいるのです。そんなある時自衛隊全体が缶詰を食べる日があるのです。演奏を要請した団体が隊長にだけ食事を用意しているので食べて欲しいと言うのですが、緒方隊長はこれは自衛隊の規則なのでそれはできません。隊員と共に缶詰を食べます…と言って私が缶切りで開けてそれを食べるのです。このことは隊員皆んな知っています。自分だけという考え方はないのです。いつも隊員と共に一緒に行動をするのです。
 そしてある日緒方隊長から「今日夕飯に来ないか、家内が待っているから」と声をかけられました。そしてその夕食の時に「北海道の帯広駐屯地に行くことになった」と教えてくれたのです。これは噂ではなく本当だったのです。
 私にとりまして緒方隊長夫妻は特別なのです。出張演奏のない時は毎週1回、その他は月に1回は夕飯をごちそうしてくれるのです。このように私を可愛がってくれて夜学まで入れてくれて、いろいろ両親さえできないことをやってくれたことに対して心より感謝する以外にありませんでした。

 私はこの時決断したのです。緒方隊長には話はしませんでしたが緒方隊長のいない第一管区音楽隊にいても将来への希望がなくなるのだったら、自衛隊を退職する以外に道はない。この決意を心のなかで決めたのでした。緒方隊長の奥さんは九州の熊本生まれですので、北海道の帯広はとても寒い所です。大変だけれど一緒に行くことにしたようです。この奥さんに対しては本当に優しく声をかけてくれ暖かーい夕飯を毎週1回か出張演奏の多い時は月に1回食べさせてくれ、いくら感謝してもしきれるものではありません。私は緒方ご夫妻に育てられたのです。緒方隊長からは吹奏楽を広めるには自分のことを考えてはならない。皆んなのために全力を尽くすのだ。それは自分が選んだ自分の役割でもある。このような考え方なので吹奏楽の神さまのような方なのです。奥さんの恵美子さんからは心の暖かさと心の安らぎを学びました。2人共この世に生まれたのは世の人々に吹奏楽を通して、愛の実践を通して、お役に立つことなのだと思います。私はこの時緒方隊長の意思を継いで日本の吹奏楽界のためにあらん限りの力を尽くして行こう…このように決意したことを思い出します。


 



助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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