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36.暁雲(行進曲の作曲)

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



36.暁雲(行進曲の作曲)

 自衛隊の音楽隊はいろいろな外国の方々が自衛隊を訪問する時があります。その時は必ずその国の国家を演奏することになっています。アメリカとかフランスとかイギリスなどは楽譜も揃っていますが、中南米や小さな国になると全く楽譜がありません。そのために音楽隊で編曲をして演奏しなくてはなりません。私が特に記憶に残っているのは、中南米からの訪問があった時です。
 メロディだけの曲は送られてくるのですが、それがとても長く編曲するには大変時間がかかりますが、そんな時に限ってあまり時間がないのです。その当時はほとんど私が編曲の担当をしていたので、上条士長にも山口三曹にも頼めません。時間ギリギリまで編曲して各パートを作り、かろうじて間に合わすということは度々あったのです。曲の長さは半端ではなく長いので、パートを書くのも大変ですし、演奏時間も当然長くなります。編曲は自分の仕事だと思ってはいましたが、中南米からの訪問と聞くとドキッとするのです。
 そんな時に自分のオリジナルマーチを作曲してみようと思いたち、早速とりかかりました。今迄学校の校歌や国家などが中心の編曲です。「南国土佐を後にして」別格ですが、あとは代わり映えのないものばかりで少し冒険してみようと思ったのです。
 私の場合小さい時から思いたったらすぐに行動をおこすクセがあります。しかし初めてのオリジナルの行進曲です。今迄あらゆる演奏会では行進曲をたくさん演奏しています。そのためにどのように組み立てれば行進曲になることは、自分でホルンを吹いての体験があります。今迄の中で一番参考になるのはどの曲だろうと真剣に考えました。
 日本人の書いた有名な曲は「軍艦マーチ」しかありません。あとはほとんどアメリカのスーザが書いたのが中心で、ヨーロッパのものが少しある位です。私はスーザのある曲を見本として作って見ようと思いました。

 初めての行進曲作りは大変苦労をしました。まずはイントロ作り出し、あとはトリオまでの3部形式のメロディとそのウラメロ作り。これに相当時間を費やしました。これを作るには日常の音楽隊の活動の合間に使うしかありません。さらに夜学も通っています。だから自由に使える時間はないのです。しかし難しければ難しいほどチカラが湧いてきます。夜学に行くと私の大好きなRさんがいます。この当時は何も問題のなかった時期なので、顔を見るだけで勇気100倍です。チカラをいっぱいもらうことができます。
 こんな多忙の中で少しずつ曲が出来上がっていきます。今度はトリオからのメロディ作りです。同じようにメロディとウラメロのメロディを作っていきます。各楽器のセクションは日常演奏しているのでほぼ解っています。各楽器の音域や動きは何の心配もいりません。毎日メロディ作りが続きます。それを何回も何回も作り直しが必要です。私のメロディ作りは本格的には学んでいません。音楽学校へ行くどころか、転々と職を変え、音楽隊に入ったのは16回目の転職です。だから吹奏楽について学んだのは実際の体験だけなのです。楽典については北海道にいる時にほぼ身につけていましたが、それ以外はすべてが独学であり、体験学なのです。けれども上条士長から編曲をやれと言われからは、吹奏楽に対する見方が完全に変わってしまったのです。単なる楽器を吹くだけならば吹奏楽の表面だけに終わってしまうのですが、編曲になるとバンド全体を見なければ成り立ちません。そういう意味では編曲をせよと言うことは、吹奏楽の全体を知れとの言葉だと思いました。私はそれから(株)ミュージックエイトを創業する5〜6年間、この時期がその基礎作りになったのです。もしこの時期に上条士長から編曲をせよと言われなかったら、出版社作りなどあり得なかったと思うのです。

 さていよいよトリオからのメロディが出来上がりました。最初はアメリカのスーザの曲を見本として作ったつもりが、全く違っているのです。これはとても不思議でした。自分の持ち味のメロディで作られているのです。

 約1ヶ月かけて「暁雲」という行進曲が出来上がりました。イントロから初まって、3部形式のメロディとそのウラメロ、そしてトリオが入り、そのメロディとウラメロ、遂に完成したのです。さてこれからが大変なのです。50数名のバンドの皆さんのためのパート作りすなわち写譜が必要になります。いくら慣れているとはいえ、結構長いオリジナルの行進曲です。私は自分のオリジナル曲が第一管区音楽隊の皆さんに受け入れられるかどうなのか、ひとつの試練です。日常の音楽隊の活動をこなしながら、空いた時間を活用しながら、1枚1枚各楽器のパート作りをしました。やるには豊南高校の夜学へ、そこで一生懸命勉強をして、さらにKさんの顔を見てはチカラを得て勇気りんりんです。この時の私の生命力は一番あったのではないかと思います。

 そして遂に「暁雲」の全パートが出来上がりました。そこでいつ合奏場で試奏してもらえるかが大問題です。音楽隊に入ったばかりのひよっ子がオリジナル曲を書くなんて、思っている筈ありません。音楽隊に入ってから2年半位しかたっていません。普段編曲をしていると言ってもオリジナル曲はまた別格です。そのチャンスを窺っていました、緒方隊長の練習時には無理と思い、副隊長の藤本一郎さんの時が一番と思い、休憩時間にこのことを話してパートを全員に渡して、急遽の試奏が初まりました。副隊長の藤本さんのタクトの振り下ろした時から終わりのタクトが止まった時、隊員の皆さんが1人残らず大拍手を送ってくれたのです。私の人生の上でこの時ほど心から嬉しく演奏してくれた隊員の皆さんに感謝できたことはありません。
 「暁雲」はたった一度の試奏でしたが私の心の中には永遠にその曲のひびきは消えることはありません。「南国土佐を後にして」の曲は一般に知られている曲なので、その後長い間演奏されましたが、この「暁雲」はオリジナル曲なので、誰も知らない曲です。たった1回の試奏でこの曲は姿を消していくのです。


 



助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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