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23.北海道の実家に送金

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



23.北海道の実家に送金

父親が東京行きを認めてくれ、更には田んぼを売って2万円を用意してくれたことは本当にありがたいことでした。東京という所は〝生き馬の目を抜く〟と言われるくらいの都会であると言われていました。そして私は何の力もコネもないのだから覚悟をしておく必要があると思っていました。それから2年位経ってついに夢と希望を持ち続けてきた吹奏楽団の第一管区音楽隊に入隊することができたのでした。
 北海道の実家は貧乏でしたのでお金はありません。秋の収穫時には米を売ったお金が入りますが、その時期が終わると日銭が入ることはなくなるのでとても大変です。私は自衛隊に入ったことで毎月6千円の給料が出ます。その給料は生活費が全くかからない自衛隊なので使うことはありません。今までの15回の転職時には宿代や食事代が必要でしたけれど、今度は3年契約の自衛隊に入ったのでその間は給料を使うことがありません。それに東京に出る時に作ってくれた2万円のことも思うと「これから3年間は実家に送金をしよう」と決心したのでした。私が必要なお金は夜学の授業料と交通費だけです。残りは全額余るので毎月4千円は送れると思い、実行することにしました。私が東京に出たために農作業は両親と姉の3人でやっていましたが、多忙な時の出面のお金は必要です。きっと助かるのではないかと思い自衛隊を退官するまでずっと送金を続けていました。私自身は2千円の学費と交通費、あとはPXといって自衛隊の中にあるお店でお金を使うぐらいでした。元々無駄使いできない生活が続いていたので何の不自由もありませんでした。
 音楽隊の隊員の中には、日夜日毎にお酒を呑みに行く人がたくさんいます。私は酒も煙草も賭け事もしませんし、吹奏楽以外の趣味はありません。お金はほとんど必要ありません。ある時、お酒の好きな先輩が借金で首が廻らなくなり私に「助安、少しお金を貸してくれないか」と言ってきたので2千円の中で少し残ったお金を貸したことがあります。しかしそのお金はなかなか返してはくれませんでした。この時、音楽隊の古参隊員がみんなの前で「お前ら、助安にお金を借りてはダメだぞ。もし借りているのならすぐに返してやってくれ。助安は毎月国に仕送りをしていてお金が無いんだ」と言ってくれました。この言葉によってお金を貸していた先輩からお金が返ってきました。それからのち、私にお金を貸してくれという人はいなくなりました。本当にありがたいことで古参の先輩には感謝するばかりでした。
 東京に出る時に2万円を用意してくれたお返しに、毎月4千円を3年間、合計14万4千円を送りました。しかし退官後は今度は自分の生活が大事になりますので送れなくなります。自衛隊での3年間の退職金は確か6万~7万円位でした。これだけあれば次の就職のために何とかなると思っていた矢先に、音楽隊で親しくしてもらっていた先輩に「その退職金を貸してくれないか、部屋を借りるために前家賃や権利金や敷金が必要なので頼む」と言われてしまいました。どうしようか・・・と考えましたが、先輩に「もし一軒家を借りることができたらお前も一緒に住まないか」と言われたので「そういうことならいいかな」と思い退職金を全額貸してあげました。しかしそれは大きな間違いだったのです。その先輩は彼女と一緒に住む家を探していたのです。そこに私が入ることなどできるはずがありません。人の良さというか阿呆というか、すぐに人を信じてしまうくせがもうこの時から始まっていたのです。  当然一緒に住むことなどできないので、自分が住む場所を探さなくてはなりません。3年間実家に仕送りをしていたために手元にお金はほとんど残っていませんでした。先輩に何とか少しでも返して欲しいと頼んでも、先輩も働いていないのでお金はありません。結局その退職金は二度と返ってくることはありませんでした。
 困った私は大井町駅の近くに3畳間の屋根裏で斜面になっていて、立てる場所は入口付近だけであとは背を低くしていることしかできないという部屋を月2千円で借りました。荷物は布団しかないので窮屈ですが何とか生活はできます。あとは職探しです。私は自衛隊で編曲をし、40人から50人位のパートを書いていたので、楽譜を写すことは得意でした。これ以外の仕事に就くことも考えましたが、せっかく吹奏楽団に入って楽譜の仕事を3年間も続けてきたので音楽関係以外の仕事に就くことはどうしてもできませんでした。そこで作曲や編曲の仕事を探して、そこで楽譜の仕事をもらう以外にないと思い、電話帳などを使い編曲者を探しました。そしてようやくのことで編曲者の川上義彦先生を見つけ自宅に行き事情をお話して「写譜の仕事はできるので、もし仕事があればやらせて下さい」と頼み込みました。そして「いいよ、今ちょうど忙しいので少しやってみるかい?」と言って下さり、編曲のスコアを2曲頂いて3畳の私の部屋で書きました。のちにこの川上義彦先生が私にとっての大大恩人として協力をして下さることになりました。NHKの写譜室での募集を教えて下さったり、株式会社ミュージックエイトの初期の編曲者として活躍して下さったりなどで、頭の下がるほど力になって下さったのです。


 






助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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