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「日本バンドクリニック50周年と米国海兵隊軍楽隊の来日」その1

秋山紀夫のバンド指導ヒント
「戦後、吹奏楽指導者講習会が開かれるまで」

 今年は1869年に薩摩の侍が英国陸軍第10連隊第一大隊軍楽隊長ジョン・ウイリアム・フェントンについて吹奏楽を伝習した年から数えて150年になるが、それに関連していろいろ調べてみると、日本人が管・打楽器と関わりを持ったのは、更に前だったことがわかる。
 ペリーによって鎖国が終わり海軍を必要とした幕府は、オランダ海軍に指導を依頼し、その結果オランダ海軍では艦上でのいろいろな合図に鼓隊が使われていることを知り、早速鼓隊の指導を頼み、その結果いくつかの藩でまず鼓隊が編成された。生麦事件の結果、英軍が1963年から横浜に駐在すると、英軍からは鼓笛隊を真似し、仏軍からは信号ラッパを習っていた。そのため鹿児島から横浜に送られた侍たちは全くの素人ではなく、薩摩藩に編成された鼓笛隊や信号喇叭隊のメンバーであったことが、妙香寺境内での写真でも確認できる。

 そうした古い歴史を持つ日本の吹奏楽ではあるが、1871年以来の軍楽隊は別として、明治・大正・昭和の各時代を通じて、一般の学校、青年団、職場のバンドが受けた吹奏楽の教育が本格的に始まったのは、戦後、米軍の軍楽隊が東京をはじめ各地に駐在し、その影響を受けるようになってからと言ってもよい。全国の警察や自衛隊のマーチング・バンドの活動は、専門のバンドでさえも、戦後はじめて本格的なマーチングバンドを学んだと言ってもよいだろう。ましてや学校バンドが、編成、指導法、技術、レパートリーなどの広い知識を正しく学べることができ、各段の進歩を遂げたのは、昭和30年代以降であったのは間違いないと言えよう。
 はじめは日本管楽器株式会社が、そしてその後ヤマハ(日本楽器)が本格的に楽器の製造、管・打楽器の普及に乗り出したが、それ以前は吹奏楽連盟の企画・実施による講習会がそのスタートであった。
 はじめの(昭和20~30年代)指導者講習会がまず始まった。
 昭和24年に復活した関東吹奏楽連盟が最初に実施したのは「吹奏楽祭」として日比谷野外音楽堂で実施した演奏会で、次に昭和27年8月には逗子開成高校の体育館に於いて114名が毛布一枚の合宿で1週間にわたる指導者講習会が開かれ、各楽器の指導法や、合奏の指導法が行われ、これが同年10月の復活第1回関東吹奏楽コンクールへと発展した。
 昭和28年6月には関東吹連の主催で、東京藝術大学を会場として5日間にわたって指導者講習会が開催され、全国から42名(内訳は小学校教員2、中学校21、高校7、一般9、職場2、警察音楽隊1)が参加し、当時は中学校が盛んだったことが現れている。そしてこの講習会は全日本吹奏楽連盟に引き継がれてゆく。昭和29年度からは関東吹連では各県ごとの指導者だけでなく生徒も含めた講習会を実施し、各県吹連の育成にあたったことで、その結果昭和30年代に関東各県に吹奏楽連盟が発足した。
 こうして昭和29年11月に全日本吹奏楽連盟結成式が行われ、30年5月に全日本吹奏楽連盟が復活し、30年6月から東京藝術大学での指導者講習会は全日本の主催となった。
 こうした動きに連動して昭和28年頃からは甲府、愛知、愛媛、長野、岡山、津山、金沢、兵庫、広島などでも講習会が開かれるようになり、東京警視庁音楽隊でも緑陰クリニック等を開くようになった。
 また昭和30~40年代に学校バンドが楽器購入の恩恵を受けたのは、国民体育大会で、開催県では5~600名程度の大編成バンドを必要としたので、県費で楽器を補充してもらうことができ編成の充実に役だった。昭和42年に開催した埼玉県ではバス・クラリネットが各団体に支給され、その数年後の千葉県ではオーボエとバスーンが支給された。
 昭和40年代に入るとヤマハの支店ではその地区でのサマーキャンプを計画実施するところも出てきた。特に東北吹奏楽連盟(蔵王キャンプ)や九州吹奏楽連盟(雲仙キャンプ)などは盛んだった。
 こうして昭和45年(1970)日本バンドクリニックの誕生となるわけだが、これには次のような経過が必要だった。

 私は昭和38年(1963)初めてアメリカに留学したが、9月初めのある日ワシントンの海兵隊軍楽隊を見学した際に、ライブラリアンから「シカゴのミッドウエスト・バンドクリニック」への参加を勧められ、同年12月、初めて参加してその規模や内容に驚かされた。帰国後4年経った1967年に2度目の参加ができ、翌年の3月号バンド・ジャーナルに初めてその全貌を紹介することが出来た。
 これを知った当時日本楽器の名古屋支店社員であった石上禮男氏と恵比寿の音楽財団に勤務されていた鴨井次郎氏は昭和43年(1968)のミッドウエスト・クリニックに参加し、アイデアを得て、昭和45年に「第1回 名古屋 - 吹奏楽指導者クリニック」を日本楽器名古屋支店の社屋でスタートさせた。今年はその会から50周年を迎えたわけであった。
(続;以下次号)



(1963年に参加したミッドウエスト・バンドクリニックのプログラムと昨年2018年のプログラムの比較)



(1963年に出席した時の集合写真。右側の中央、通路側に私が写っています)


秋山紀夫【あきやま・としお】 秋山紀夫
 前ソニー吹奏楽団常任指揮者。現おおみや市民吹奏楽団音楽ディレクター。(社)日本吹奏楽指導者協会名誉会長、(社)全日本吹奏楽連盟名誉会員、アジア・パシフィック吹奏楽指導者協会名誉会長、WASBE(世界吹奏楽会議)名誉会員、浜松市音楽文化名誉顧問、アメリカン・バンド・マスターズ・アソシエーション名誉会員。ソニー吹奏楽団名誉指揮者。

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