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35.大失恋

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



35.大失恋

 緒方隊長のご好意と豊南高校の西宮校長のご協力のもとで毎日夜学に通っていました。私は元々学ぶことは好きな方でしたので、物覚えは小さい時から得意でした。しかし15回もの転職を重ねての厳しさの試練の中で、この物覚えを続けることができるかとても怪しいのです。入試のときは何とかなりましたが、これから先は大変なことは判ります。そのためには楽器ケースの中にはいつも教科書が入っています。すこしでも空き時間があれば目を通して知識を身につけることに全力をあげていました。
 しかし音楽隊は泊まり込みの出張演奏もあります。そんなときは夜学に通うことができません。そんな時私の席の近くに3人の女生徒がいました。近くですのでいろんなことを話すこともあります。その3人の中にKさんというとてもきれいな女生徒がいました。気がものすごく強いのですが、きれいな女性なのでとても惹かれてしまったのです。そこでこのKさんに私が出張演奏で学校に行けない時にノートを見せてくれないか?とお願いをしました。Kさんは喜んで「見せてあげるから心配しないで」と言ってくれたのです。私にとりましてはものすごく嬉しかったのです。あとの2人の女生徒もそのような気持ちがあったのか、その話がすすむとなんともしょんぼりしていたのです。その中の少し太目の背の低い女生徒はなにかと話しかけてくるのです。とても積極的な人でした。けれども私の好むタイプではないのです。私も背が低いのに結婚相手も低かったら子どもが生まれたらみんな背の低い子ばかりになるのではないかと、もうその先まで読んでしまうのです。だからHさんとの付き合いはできないと初めから決めていたのです。
 しかしKさんは中肉中背でスタイルも大変よく私の好みの人でした。そのKさんから私の出張演奏の時にノートを貸してくれるのです。私はもうその時は嬉しくて、嬉しくて、そのノートは神様のようでした。
 自衛隊の駐屯地の自分のベットは2段ベットの下が自分の部屋です。そこで音楽隊員のいない時にそのノートを写して、勉強をするのです。昼間はベットの上での勉強、夜消灯後は事務室を使います。もうこれをずぅーっと続けていました。
 特にKさんのノートは普通のノートではありません。ノートを両手で挟んでお祈りをするのです。そしてきれいな文字が並んでいます。私の字とは比べようもありません。その一文字一文字から愛の光がほとばしっているように感じるのです。これまでの人生で人のノートを見たことはなかったですが、一番好きだと思ったKさんのノートは特別なものです。ノートを見る時と見終わったあとは必ず両手の中にノートをはさんで「これから勉強させていただきます」と「今日これで終わらせていただきます」と心をこめてノートにあいさつをするのです。

 音楽隊の毎日の活動は出張演奏のない時は、合奏場において最初は各楽器毎の練習をします。そのあとに新曲などの合奏の練習をお昼までするのです。そのあと午後も最初は各楽器毎の練習は個人の練習をします。午後から夕方まで合奏練習があって一日の終わりです。夕食後はもっと楽器を上手になりたいという人は夜遅くまで練習の時間に当てます。
 私の場合は夕食後すぐに豊南高校の夜間部に通うのです。普通ならばこのように音楽隊に所属しながら夜学に通わせてくれるところは無いと言われていました。私は幸いにも緒方太助さんと奥さんの恵美子さんの優しい心に抱かれて、特別に目をかけてくれて、東京のお父さんお母さんになってあげると言ってくれたので、私の人生の最大の恩人なのです。一人東京で苦労しながら北海道にも帰れない中で生活するのは大変だろうということで毎週1回は夕食をご馳走してくれたのです。
 「楽器の技術が少し遅そくとも、夜学に通うことは必ず将来に役立つ」という緒方隊長の信念に間違いがなかったことはいつくも思い当たることがあります。
 その中でも同じ夜学に通うKさんというきれいな女生徒を好きになったことです。好きになってから毎日毎日Kさんを思わない日はありません。Kさんの顔やスタイルの良さや、勝ち気だけど優しいとこがある、このように考えると緒方隊長の読みがあたったのかと思うのです。
 私は19才で東京に出て好きになった人は2人います。S荘のMさんという帳場の人と、T荘という大旅館の帳場の人の2人です。しかしレベルが違っていて付き合うことはできませんでした。今回は年は違うけれど同級生なので不可能ではないと思っていました。
 そして卒業する3ヶ月くらい前のことです。私は長い間ノートを貸してくれたお礼に女性が喜びそうなものを考えに考えて、買い贈ったのです。それを見たKさんは「そんなもの受け取れません」と言って突っ返されました。この時の私のショックは大変なものでした。心地よく受け取ってくれるとばかり思い込んでいたので、突然の反逆にあったようなものです。私の心は崩れそうになり、今迄神様のように見えていたKさんは地獄の鬼に変身したのではないと思ってしまったのです。
 それから数日経った時、少し太目の背の低い女生徒Hさんが、夜学が終わって帰る時に「わたしはあなたが好きです。付き合ってください」と申し込まれたのです。私にとってはチャンスかもしれないが、Kさんと違って好みではないので「申し訳ない。それはできない、ごめんなさい」と謝って断ったのです。相手は泣きべそをかいていたので、それを見て私が悪かったのかなぁと思って、何も考えられない状態になってしまいました。
 それから卒業するまでの間、Kさんは私と目を合わさないようにしていました。私は夜学を通うことによって、大失恋を体験したのです。今現在も当時のことが思い出されます。きれいでスタイルが良くて、気が強かったけれど、優しい面があったので、本当に大好きでした。人生は学びというけれど、失恋のいうのは半端なのもではなく、しばらくの間心の中は寒々として、すきま風が通っていくようでした。


 



助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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