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15.石川島造船所と自衛隊に入隊

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



15.石川島造船所と自衛隊に入隊

 石川島造船所からの電気工事の下請けの仕事が入り、当分の間はそこに通うことになりました。東京に出てきた時におばさんにはお世話になったので、おばさんの長男である親方と一緒に仕事をすることで、少しでもお役に立ちたいという思いでした。そしてどんな辛い仕事でも真面目に一生懸命にこなしてきました。
 ある時、親方から「マストの上の方にある部品のネジを廻して取ってくるように」と指示されました。力仕事に関しては何とかこなすことができますが、私は小さい時から高所恐怖症でしたのでこの依頼にはとても困りました。しかし指示されたので仕方なくマストの上の方まで梯子を使い、少しずつ昇っていきました。そのまま下を見ないで昇って行けばよかったのですが、途中で下を見てしまったのです。そうするとそこから先が恐くて恐くて昇って行けなくなってしまいました。それでもこわごわと上の少し広いところまで昇りました。しかしそこから先は仕事どころではありません。どうしても下を見てしまうからです。生きた心地がしません。ただただ梯子にしがみついているだけで仕事など全くできません。そのまましばらく上で震えていると親方が「何をしているんだ、早くしろ」と怒鳴ってきました。それでも手も足も震えてしまって自由に動かすことができません。親方は更に下から怒鳴ってきます。仕方なくその部品を取り除くためにしがみついていた手を離そうとしたのですが、全身がカチコチになっていてどうにもネジを廻すことなどできません。しかし親方の言う通りに仕事をしなくてはなりません。さてどうしたらよいのかと考えたあげく、いつも通り演歌の作曲家になったときのことと、吹奏楽のことを思い浮かべイメージをしました。ところがそれはダメでした。全く効果がないのです。ますます手と足と身体全体がマヒをして動いてくれないのです。そんな私の姿を見て親方は「何でそんなことができないんだ。俺がやるから降りてこい。」と言いました。その言葉を聞いてホッとしましたが、今度は降りることも大変なのです。梯子を一歩一歩降りていくわけですが“落ちたらどうしよう”という思いが浮かび、やはり手足が自由に動かないのです。今まで私の特効薬として使ってきた演歌の作曲家も吹奏楽も全く機能しません。そのこと事態が私にとってとても残念なことでもありました。地上ではこれは有効に働くことができても、高所では全く効かないことをはっきりと知ることができました。何とかして一歩一歩下に向かって降りてきましたが、どういうわけか身体の全身のエネルギーが全く無くなったように感じました。少し位なら何とかごまかせても、10メートル以上になるとどうにもなりません。下に降りてきてすぐ親方に「私は高所恐怖症なのです。すみませんでした。」と謝りました。「仕方がないな、俺がやる」と親方は言い、軽々と上に昇り、簡単に部品を取り除いてきたのです。その時、人には得手不得手があるんだなぁと思いました。これを知ることによって適材適所という言葉を思い出しました。人はみんな同じではないんだ、それが個性とも言えその人の特徴なんだ。と思ったのです。それ以来、私が高い所に昇ることは現在までもありません。
 電気工事の下請けの仕事をして一ヶ月ほど経った頃、陸上自衛隊から採用の通知が来ました。私は飛び上がらんばかりに喜びました。しかしおばさんと親方は私がいなくなると仕事に支障をきたすので困ってしまうと思ったので、嬉しそうに振る舞うわけにはいきませんでしたが、おばさんと親方に「お世話になっているにもかかわらず申し訳ありませんが、自衛隊に入りたいので辞めることを許して下さい。一ヶ月分の給料は頂かなくていいので私のわがままをどうか許して下さい。」と平謝りに謝って自衛隊入りを許してもらいました。それに一週間前から左足のふくらはぎが腫れてパンパンになっていたので、歩くこともままならない状態だったこともありました。
 昭和31年3月28日に私は晴れて自衛隊に入隊することができました。この16回目の転職が最後だと決めていました。自衛隊に入隊することによって念願の陸上自衛隊第一管区音楽隊に入隊することができ、夢にまで見た吹奏楽団の一員として楽器を吹くことになるからです。その経緯は次号で説明をしますが、急に奇跡が舞い込んできたようなものです。しかし入隊の日は左のふくらはぎが腫れて、よろよろの状態で久里浜の新隊員教育隊にすべり込みました。受付を終えて各宿舎に入ります。周囲の人たちは私の足を見て破傷風ではないかと言い心配をしていました。破傷風にかかると重いと死に至ると言われているようです。周囲の人たちが私の左足を心配してくれたことを、その時とても嬉しく感じていました。担当の方が私をすぐに医務室に連れて行って下さいました。医務室での診断の結果は幸いにも破傷風ではありませんでした。これでひと安心をしました。これからは食べることや寝るところのこと、そしてお金のことも全く心配しないで暮らしていけることが何よりも嬉しいことでした。
 自衛隊という大組織に入ることによって、いくらでも努力をして自分の道を切り開いて行くことができるのだと思うと、今までの15回もの転職が全て活かされていると思いました。みんなで一緒に食堂で食べる昼食、さらに夕食はとても美味しく、今までの苦労があってこそだという感謝の気持ちで一杯でした。中学を卒業した16才の時に旭川の旭橋の近くの商工会議所前で生の吹奏楽団の演奏を聴いて感動し、そして今いるこの自衛隊には吹奏楽団があり、その夢を現実にできるのだと思うと嬉しくて嬉しくてどうしようもない位の喜びでした。さていよいよ夢と希望が叶う日が近づいたぞと思うと、身体全身に戦慄の気が満ちてくるのが感じられました。


 






助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お父さんありがとう(歌:瞳 勝也)
お母さんありがとう(歌:若林 千恵子)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 わが道(歌:助安 哲弥)
生まれた理由(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉

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