Music People Vol.88 槐-enju-

「クラリネットの未来」を変えるという大きな目標に向かって
こんにちは、プロレスラー系爆クラリネットパフォーマーの「槐-enju-」です!
気がついたらものすごい肩書きになってしまっていたのですが、そんな私のこれまでのハチャメチャな人生と、私が伝えたいことをこの場をお借りしてお話しさせていただけたらと思います。
《 槐-enju-って何者? 》
まずは私のプロフィールをご紹介させていただきます。
時代の最先端を先駆者として駆け巡る、世界で唯一の本格クラリネットパフォーマー。クラリネットとは思えない、まるで歌っているかのような感情シンクロ率100%のDiva(ディーバ)奏法を我流で開発。ソロ活動だけでなく多数のシンガーのライブサポートやレコーディングにも参加。また「たかはしごう」にオリジナル曲の楽曲提供をうけ、オリジナル曲を発信中。Clarinet Guild FANTASIA~幻奏~メンバー。「音楽旋士⭐︎メロディマン」メンバー(ダークタクト軍:ダイナマイト∞リンリン)。
〜クラシック歴〜
エリザベト音楽大学・同大学院修了。チェコフィル弦楽四重奏団や、ドビュッシー弦楽四重奏など、海外のプレーヤーとの共演や、バスクラでは韓国での演奏会にゲストとして多数出演。クラシック奏法でのレコーディングにも多数参加。
また2025年2月27日よりプロフェッショナルレスリングJUST TAP OUTにて、リングネーム「ホルスタイン・エンジュ」としてプロレスラーデビューし、各地の試合に出場する。(アルファジャパンプロモーション所属)
と…色々と突っ込みたい! と思われる所があると思うのですが、1つずつ紐解いていこうと思います。
《紆余曲折まみれの経歴》
私と音楽の出会いは4歳の時にピアノを習い始めたのがスタートでした。実はかなりのピアノガチ勢! だったので、バリバリにコンクールで全国大会に出場して、将来の夢は「ピアニスト」という幼少期でした。ただやはり昔から少し変わっていたのか、ある日地元のテレビの取材にて「なぜコンクールをたくさん受けてピアノを頑張るのか?」という質問への回答が、まさかの「ディズニーランドに行きたいから」という珍回答。当時岡山県に住んでいたので、「全国大会に行けたら東京に行ける=ディズニーランドに行ける」というなんともぶっ飛んだ思考の持ち主だったようです。
そして中学校の吹奏楽部にてクラリネットに出会い、仲間と楽しく演奏する合奏スタイルに魅了され、某国大学の留学のスカウトのお話しまで出ていたピアノを即座にやめるという思いつきにも程がある珍行動。更に、あくまでもクラリネットはゆるく楽しく趣味でするのが最高! という考えにいたっていた少女槐-enju-は「音楽で大学は行かん!」という意思を固め、高校ではまさかの理系専攻、そして将来の夢はこの時点で「薬剤師」。
高校3年生まではガッツリお勉強女子として生活をしていたのですが、ここで私に音楽の道を進ませたいとかねてより画策をしていた「吹奏楽部顧問」「父親」という強敵が2人現れる。顧問はなぜか私の家まで来て「この子を音大に行かせるべきだ!」と両親に直談判、同意見だった父親がその日から「薬剤師になるとこんな嫌なことがある!」という呪文を毎晩私に聞かせまくるというカオスな状況にまんまと乗せられ、高校3年生1学期に急に音大進学希望に切り替える。
ただ、ここからが大変も大変! ゆるくクラリネットを楽しんでいただけの高校生が、受験まで1年を切った状態で音大を目指すということは大事件! とにかく実技が間に合わない! レッスンを受けることも、スケールをやるのもすべて初めてで、死ぬ思いで受験の準備をしました。その結果! 見事! 演奏実技だけ点数が足りず、国立音楽大学不合格! 当たり前です(笑) 国立音大はダメだったのですが、地元のエリザベト音楽大学にはギリギリ合格し、進学をしたのは良いものの、ほぼドベ入学の私はそこから皆に追いつくための地獄のような修行の日々を送りました。
《 生き残りたい 》
ここでものすごくまともなお話を挟みたいと思うのですが、皆様は「自分の天井が見えてしまった」と思うことはありますでしょうか? 私はちょうど大学3年生の頃から以下のような考えが頭の中を巡るようになりました。
「この実力のままだとプロの奏者としてクラリネットは続けていけない、でも恐らくこれ以上うまくならない・・」
この頃から、クラリネット界で「生き残る」方法を考えるようになり始めました。そしてたどり着いた答えが、今の私の活動の信念でもある「誰もやっていないことをする」ということでした。ここからまた新たな新ジャンル開拓という新たな奮闘記が始まりました。
《 クラリネットパフォーマーの確立までの奮闘記 》
当時(2013年頃)、クラリネットで本格的なポップスパフォーマンスをしている人はいなく、師匠ももちろん存在しないため、「1から自分で考えて作り出す」という作業をこの頃から始めることになりました。ここで私に転機を与えてくださったのが、まさかのバイト先の飲食店さんと、そしてその後にお勤めさせていただいた広島の音楽専門のスナック「SONGS白川」さんでした。
仲良くなったお客様方のパーティー等に余興として呼んでいただくようになり、実践的にパフォーマンスについて研究する機会をいただきました。そこで直面した問題点は計り知れなかったことを今でも覚えています。お客様が演奏を聴くのか聴かないのかを選択できるパーティーの場では、「どうやったら盛り上がるのか、どういう演奏をしたら印象に残るのか。どうやったら聴いてもらえるのか…」などたくさんの課題と向き合い、研究と実践を重ねました。
またこの活動を始めた頃より、ポップスの歌手の方々とたくさん関わらせていただくことが増え、私のポップス奏法の確立の最大の教材になった「歌」に触れ合う機会が増えました。ちょうどこの頃からの私のライバルになったのは、楽器奏者ではなく、歌手の皆様。他の出演者の皆様が歌手という中で、楽器で「忘れられない印象を残す」ということは非常に難しいことで、「歌詞がない・両手が塞がる・トーク力」という問題と向き合うことになりました。
・歌詞が無い分、まるで歌っているように聴こえる演奏力が必要!
・両手は離せないがなんとしてでも片手だけでも離す工夫をする!
・様々の方のMCを聞いて参考に、自分のスタイルのトーク術を確立!
など、パフォーマンスをする上で必要と感じたことを歌手の皆様にたくさん教えていただき、今の槐-enju-のスタイルが生まれることになりました。
《 出る杭は打たれる 》
クラリネットの新ジャンル開発が順調に進んでいるように見えている中、新たな試練に直面しました。この頃はまだ演奏方が、ジャズ・クラシック奏法以外は御法度に近いような風習があり、「クラリネットはそんな風に演奏してはいけません」「そんな音の楽器じゃない」など、「新しいことを始めると叩かれる」という日本の風習がもれなく私にも襲いかかってきました。
当時メンタルイモムシだった私は、その重圧に耐えれず悩むことが増えてしまった中、救世主が現れました。私の名前「槐-enju-」を考えて下さった方でもある書道家の「坂口赤道」さんに言われた一言。
「出る杭は打たれる。でも全部出ちゃったら打てない!」
二番煎じではなく「一(イチ、ハジメ)」を作り出す者。新しいことを始めるとリスクがあるのは当然。それでも突き抜けて時代を変えてしまえば叩けなくなる。私の中で今までの悩みがすべて吹き飛んで、私のメンタルがダイヤモンドに豹変した瞬間でした。
《 Clarinet Guild FANTASIA〜幻奏〜 》
これまで私は本当にたくさんの方の刺激をうけ、たくさんの方々に助けていただき、たくさんのステージに立たせていただきました。その活動の中で私が一番大切にしていることがあります。冒頭にも少し出てきましたが、「誰もやってないことをする!」ということです。
演奏方もそうですが、音を聴いた瞬間に「あ!槐-enju-だ!」とわかる演奏。そして他の人が考えつかない演出、発想、槐-enju-じゃないとできないこと、に今も昔もこだわって活動をしてます。私が今代表をしている「Clarinet Guild FANTASIA〜幻奏〜」というYouTubeをメインに活動しているグループもその理念に基づいた活動の1つです。
当ギルドのメンバーは、インフルエンサーやステージ業等で活発に活動をしていたメンバーで構成されていて、「新時代を切り開く」をコンセプトに、他のアンサンブルグループには無い、新しい演奏スタイルとクラリネットの可能性を広める活動をしています。個人では成し遂げれないことというものも時にはあります。そんな時は同じ志を持つ仲間と力を合わせて高め合うという素敵な手段があります。各々の足りない物を補い合って「最強」を作り出すことができます。
「クラリネットの未来を変える」という大きな目標に向かって戦い続けるギルドを是非応援よろしくお願いします!