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Music People vol.18 伊藤 康英

吹奏楽を聴いているとは気づかないほどの色彩を作り出したい

 ぼくは、吹奏楽の指導をしているといつも「声楽は素晴らしいよ」「歌だったらこんなふうに表現するのに」と言う。

 大学の頃から歌の伴奏が楽しくなり、以来オペラにも携わってきたし、今でも時折歌の伴奏をしている。
 歌の最大の魅力は声の色彩だ。優れた歌い手の声は、たった一音の中に虹のように音色が広がっていく。音を伸ばしているだけなのに、そこにストリンジェンドを欲しがっているとか、リタルダンドを欲しがっているとか、明らかに分かる。そのくらい色彩に変化があるのだ。
 それだけではない。声楽曲には歌詞が付いている。歌詞には意味があるので、音楽の訴えかける力はさらに強くなっていく。
 一方、意味は分からなくとも言葉が持つさまざまな音の表情が、音楽表現を広げることになる。
 たとえば、[a]、[e]、[i]、[o]、[u]という五つの母音そのものの明るさは異なる。そして[u]の母音一つとってみても、「馬(uma)」と発音した時の[u]と、「月(tsuki)」と発音した時の[u]とでは、母音の明るさが微妙に異なる。
 そこに子音が加わるとさらに表現が広がる。サ行の[s]の破擦音、タ行[t]の破裂音とでは音の印象が全く異なる。(「タンギング」は[tu]とか[ku]だが、これがもし[su]とかだったらと想像してみると良い)
 さらに二重子音、三重子音も加わる。言葉の発音が持つ魅力はより広がる。加えて言葉のアクセントやら、詩の文法上の構造によるフレーズ感等が加わる。声楽の表現の幅広さは素晴らしいものだ。
 その人が持つ声そのものの魅力もある。人によって全く異なった声を持っているわけだから。

 ところが楽器の演奏にはそういった豊富な表現の世界がない。何しろ言葉が付けられない。でも声楽から学ぶことはたくさんある。それなのに、こと吹奏楽の連中には、吹奏楽ばかり聴いていてそれ以外の音楽は皆目知らない人がいる。せっかく音楽をやっているのに残念なことだ。


 吹奏楽に限らず、たとえばピアノを弾く人たち。彼らはたった二段の楽譜を前にしているが、世の中のピアノのための楽譜のほとんどは、オーケストラのように、楽器によるアンサンブルが想定されるべきだ。しかしそこに考えが及ばないことが多い。

 モーツァルトのピアノ曲に出てくる右手のメロディーのほとんどは、ヴァイオリンのように書かれている。スラーなどのアーティキュレイションも、弦楽器のボーイングが想定されていることがある。
 もっとオーケストラなどを知るべきだ。
 それを知らずに演奏すると、妙なフレーズ感になってしまう。
 オーケストラを知り、オーケストラよりも多彩な音色をピアノで奏でる。これがピアノの魅力だ。

 さて、ヴァイオリンなのだが、モーツァルトの時代は、ヴァイオリンの演奏を批評する時に、「歌のように」良かった、と表現していたそうだ。つまり、ヴァイオリンよりも声楽のほうがレヴェルが高かった、ということなのだろう。
 往年のヴァイオリンの巨匠アイザック・スターンは、ヴァイオリンを学ぶ子供たちに、とアドヴァイスを求められた際、「歌を聴きなさい。とくにモーツァルトのオペラを」と言ったそうだ。
 何年か前に、中国出身でシンガポール在住のあるヴァイオリニストと共演した。彼女は若いころにロン=ティボー国際コンクールを制覇しており、アイザック・スターンにも師事していたことがある、とのことだったので、その話は本当か確認してみた。すると、アイザック・スターンに習いに行ったところ、一週間ほど楽器を取り上げられ、とにかくオペラを観なさいと言われたらしい。話は本当だった。やはりわたしたちが歌から学ぶものは多い。

 一つの楽器、一つの音楽ジャンルを極めることは素晴らしい。その一方で、ほかの音楽表現に幅広く目を遣り、自身の演奏表現の幅をもっと広げてみたらどうだろう。
 そういったさまざまなジャンルの橋渡しをするのがぼくの仕事だと思っている。
 だから最近は、通常の吹奏楽編成以外で書くのが楽しみになっている。昨年(2015年)には、「彼がわたしたちに語ったこと(That which He taught us …)」というソプラノとバリトンが独唱を務める作品を書いた。吹奏楽は歌の表情に追随すべく清らかな音色を奏でる。
 管楽器を高らかに鳴り響かせた、いかにも「吹奏楽らしい」音楽を否定はしない。しかしその一方で、吹奏楽を越えた音色、吹奏楽を聴いているとは気づかないほどの色彩を作り出したいものですね。
 その時に、吹奏楽は吹奏楽ではなくなるし、それこそが吹奏楽になるのです。

伊藤 康英【いとう・やすひで】
作曲家・洗足学園音楽大学教授

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