Music People vol.25 西沢 澄博
演奏家に必要なのは、『才能』より『努力を続ける能力』だと思っている
僕がオーボエと出合ったのは中学生の時。それまで音楽の授業は最も苦手な……むしろ嫌いな部類の授業だった。
5歳の時エレクトーンを始めた。保育園でのお昼寝の時間がどうしても嫌で、逃げ出す口実としてその時間に園内で開かれていた音楽教室に行くことにしたのだ。動機が不純なため、音符はいつまでも読めないし、真面目に練習するはずもない。小学校入学後、面倒になり辞めてしまった。
小学校高学年からは水泳部。音楽とは程遠い生活。
そんな音楽苦手少年がどのようにオーボエと出合ったか。中学校には水泳部がなく行き先に困った僕は、親に勧められて友人と一緒に何となく吹奏楽部の見学に行ったのがきっかけであった。自発性のかけらもない。そこで先輩の勧誘というよくあるパターンで入部。どの楽器をやりたいという希望は全くなかった。そもそも譜面が読めないのになぜここにいるのだろうという感じだった。
それから運命の日、新入部員の担当楽器が決定する日を迎える。しかし僕はその大切な日に欠席。翌日、学校に行ったらオーボエに『なっていた』のだった。
僕の父親はアマチュアのオーボエ吹きだ。それを知っていた顧問の先生が僕をオーボエにまわしたのだった。それまで吹奏楽部にはオーボエ・パートは存在しておらず、僕にはオーボエを教えてくれる先輩がいなかった。必然的に僕の最初の師匠は自分の父親となったわけだ。
当時の僕はリコーダー演奏もままならないような実力しかなかった。目立つオーボエのソロがあっても、指の動きは覚えられないし、音も思うように出せない。お世辞にも良い音とは言えない。見かねた父親がたくさんのレコードやCDを聴かせてくれた。その中には後に師匠となる宮本文昭先生のCDがあったが、当然この時は知る由もない。
宮本先生の演奏を聴いた時、僕は感激した。しかし演奏を真似てみても、似ても似つかない。どうしたらあのような演奏ができるのだろう。当時の僕は様々な録音を繰り返し聴き、演奏者によって音色の傾向が全く違うことに気づく。そしてこの経験こそが、オーボエに対する強い興味を抱かせた。今思うとこの辺りがオーボエにのめりこんでいった第一歩だったのだろう。
オーボエはリード楽器だ。通常リードは演奏者が自作する。できあがったリードによって音色や吹きやすさはガラリと変わる。リードの自作は大変な作業だが、工夫したり削り方を変えることで、独自の音を追求していける。元々物づくりが好きな僕には、こうした作業が性に合っていた。人前で歌ったりするのは苦手だったが、オーボエでなら自分を表現できると思った。
こうしてオーボエと音楽に対する思いが次第に膨らんでいった。「専門的に勉強したい」「将来はオーケストラで演奏したい」と思うことも自然の成り行きだった。高校生だった僕は、反対する両親を説得して音楽大学への進学を決めた。
大学時代。僕は、人に恵まれた素晴らしい学生生活を過ごすことができた。中でも憧れの宮本文昭先生のレッスンを受けられたことは、今の自分を作り出している。先生の授業は厳しかった。たった1小節の練習に気が遠くなるような時間をかける。何時間、何百回。僕は朝から晩までがむしゃらに練習した。プロになるというのはこういうことかと思い知らされた。
卒業後、そのままオーケストラに入団したが、右も左も分からないようなドシロウト。学校で習ったことなんて役に立つとは思えなかった。
大学のオーケストラの授業では1曲に2ヶ月かける。のんびりなペースだ。しかし、プロのオーケストラになると、2〜3日に1回はコンサートがある。かなりのハイペースだ。曲の勉強、楽器の練習も追いつかず、必死の毎日。でもそれが辛いと思ったことはなかった。それは自分が心からなりたいと思い描いていたものだったからだ。
気づけばオーケストラ生活も15年目。僕は演奏家に必要なのは、『才能』よりも『努力を続ける能力』だと思っている。
僕は時々考える。もし中学生時代、顧問の先生がオーボエを勧めてくださらなかったら、担当楽器が決定する日に出席していたら、水泳部があったら……今の自分はなかったかもしれない。人生は本当におもしろい。置かれた状況を楽しみ続け、夢を追い続けることができれば、未来を切り開いていくことができるんだ。
思いがけず始めることになったオーボエ。今の自分には欠くことのできない存在になっていた。
西沢 澄博【にしざわ・きよひろ】 1979年青森県弘前市出身。1998年、東京音楽大学へ入学。2002年東京文化会館新進音楽家デビューオーディションに合格(ソロ・室内楽の2部門)。東京文化会館大ホールで行われた合格者によるガラ・コンサートに出演。 2002年東京音楽大学卒業。卒業直前に受けたオーディションに合格し卒業と同時に仙台フィルハーモニー管弦楽団に入団。同年、小澤征爾氏とロストロポーヴィチ氏が行った「キャラバン2002」のメンバーに選ばれ東北各地で演奏を行った。オーケストラ以外にソロや室内楽活動も行い「仙台クラシックフェスティバル2008」ではオーボエのソロコンサートを、2012年には仙台フィルの262回定期演奏会においてR.シュトラウスのオーボエ協奏曲のソリストとして登場。また仙台フィルが劇中の音楽を担当した映画「剱岳・点の記」では独奏曲を担当。 オーボエを宮本文昭、安原理喜の両氏に師事。また、V.シュトルツェンベルガー、K.クリユスの各氏の指導を受ける。仙台フィルハーモニー管弦楽団首席オーボエ奏者。 |