Music People vol.12

音楽を通して、自分を信じる力、協力してやりとげる喜びを伝えていきたい
私が音楽を好きになったのは父の影響が強い。幼い頃家にはオルガンがあり、よく父の伴奏で歌っていた。父は私の声の高さにあわせて伴奏を変えてくれた。
小学校2年生の時からマリンバを習い始めた。木のぬくもりが感じられる響き、温かい音色が好きになった。後から聞いた話では、小学校の教員だった母がリズム音痴だったので、私にはリズム音痴になってほしくないと思い、マリンバを習わせてくれたようだ。
中学校入学後、どの部活に入部しようか迷っていた時に、友達と聴きに行った吹奏楽部の新入生歓迎演奏会での先輩たちの演奏に感激した。私は素敵だなと思い、入部を決めた。マリンバを習っていたこともあり、打楽器パートになった。
ある日家に帰ると、机の上に小太鼓の練習台とスティックがあった。父が買ってくれたものだった。とても嬉しくて家でも毎日練習した。そして、いつしか打楽器が大好きになっていた。私は打楽器専攻で音楽大学を目指したいと思うようになっていった。

父は、私の長男にもサプライズ・プレゼントをしてくれた。長男は、組み合わせによって様々に形が変えられるそのおもちゃが大好きで、毎日色々変身させて遊んでいた。そのことがきっかけで、おもちゃの世界に興味を持ち、美術大学に進学し、今では『boystoy』の企画職に就いている。父のサプライズ・プレゼントは私にだけでなく、息子にも影響力を及ぼしている。

中学生の頃から吹奏楽を続けていたが、指導となると全くの別物である。そのため、よくわからないところからのスタートだった。本を読んで校歌を吹奏楽に編曲したり、体育祭のマーチングの案を考えたりしたこともあった。生徒と一緒に新しいことに取り組んだり、合奏したり、泣いたり笑ったりする日々は楽しかった。
そんな私もいつしか結婚をし、子どもが生まれた。私が子どもの頃、母は働いていたため、私は少なからず寂しい思いをした。だから自分の子どもにはそんな思いはさせたくない。子どもが生まれたら吹奏楽の指導はできないと思っていた。1年間の育児休業を取り職場に戻った時、吹奏楽の指導は辞めようと考えていた。
決心したはずなのに、気がつくと下を向いて歩いている自分がいた。「これではだめだ 。母親は笑顔でなくては!やはり、吹奏楽を続けよう! 」と思い直した。ずいぶん楽天的である。
当然独身の時のようにはできない。それでも休日は子どもを連れて行き、抱っこしながら吹奏楽の指導は続けていた。少し大きくなると、息子はハーモニーディレクター(指導用総合楽器)をいじるのが好きになった。練習しているとメトロノームの速さを変えたり、私が話をしていると突然音を鳴らし始める。集中して練習ができる環境ではなかったが、私が下を向いて歩くことはなくなった。集中して練習しなければならない時は、夫や保護者の方々、卒業生などいろいろな人が助けてくれた。困っていると誰かが助けてくれた。今でも感謝している。

いつの間にか私も、もうすぐ定年を迎える年になった。音楽の教員として、吹奏楽部の顧問として、音楽の楽しさと練習の大切さを伝え、音楽を通して、自分を信じる力、協力してやりとげる喜びを伝えていきたい。
滝野 恵子【たきの・けいこ】
横浜市立田奈中学校吹奏楽部顧問