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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第七回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



⑦吹奏楽と旭橋

 上京して間もなく、浅草の映画館通りでチンドン屋さんを見たときに、旭川の石狩川にかかる旭橋近くの商工会議所前で初めて聴いた本物の吹奏楽団のことが、すぐに目の前に浮かんできました。チンドン屋さんのトランペットやクラリネットも吹奏楽団と同じです。私はこのチンドン屋さんのあとにしばらくついて行き、「もし吹奏楽団に入れなかったらチンドン屋さんにでもなるか」と真剣に思いました。私が何とか北海道の田舎の比布村から東京に出てくることができたのも、いつも心の中に夢を抱いていたことが大きな原因だと思います。東京に出て、第1回目の就職に大失敗し、叩き出されたことはとてもつらいことでしたが、これも活きた体験であり、これを糧にして生きていくならば、必ず道が開けるのではないかと強く強く心に感じました。何はともあれ、田舎から憧れの東京に出て来ることができたのは事実です。強く心に思えば叶うことも事実です。私の夢は演歌の作曲家が第1希望であり、第2希望は吹奏楽団に入ることです。私はチンドン屋さんの後についていきながらこのように思いました。「吹奏楽や演歌は、私が生きていくための夢であり、必ず実現するはずだ!」「困ってもつらくても行き先が見えなくても、道が完全に閉ざされても、命が危なくても"夢""夢""夢"さえ心の中から消さず、明々と灯し続けていれば必ず道が開けていくことは間違いがない!ド田舎のどさん子少年が東京に出てくることができたのだから、これを信じて生きていこう!!これは単なる夢物語りではなく、現実物語りなのだから100%間違うことはない・・・」この時、このように心に誓ったのです。
 第1回目の就職で失敗し、私の夢が消えかかっていたときに幸いにも、トランペットとクラリネットを吹くミニ吹奏楽団に出会いました。"あきらめてはならない・・・"と目では見ることのできない世界からのアドバイスではなかったのかと思うのです。これはもちろんひとりよがりの思いです。私はよく自分にとって全てが良い方にいくようにと考えるくせがあります。これは小さい頃からのくせでもあります。小さい時から父との葛藤が激しかったので、"本当に困ったときや厳しいときは、きっと神さまや仏さまが助けてくれるはずだ"と思い込むようになっていました。何故そのように思うかというと、4~5才の時から毎朝一番のご飯が炊き上がったら、仏壇用の小さめの器にご飯を入れて、お供えをし、神殿には水をあげることが習慣になっていたからです。東京に出てからはその環境がないので当然できなかったのですが、19才になるまでは神さまや仏さまを信じていたので、心の奥底で"困ったときや危険な目に遭ったときは守ってくれるはずだ"と思い込むようにしていたのです。陸上自衛隊の第一管区音楽隊に入隊するまでの計15回の転職では、何回も命を落とすような危険な目に遭いながらも救われていたので本当に不思議です。"やはり思いは実現するものだなぁ"とひとり合点していたのです。第16回目の転職は憧れの自衛隊の音楽隊に入り、楽器を吹くようになるのですが、それはもっともっと先のことです。
 さて、第1回目の職に失敗しましたが、お金は父から東京行きの汽車賃と当座のお金2万円があったので、まだ少し残っていました。しかしそれを使ってしまってはどうしようもありません。ですので、すぐに次の職を探さなくてはなりません。そこですぐに新聞を買い、求人広告を見て浅草から近い山谷の毎日新聞店に応募し、採用してもらいました。そこの新聞店には若い人がたくさんいました。その中に中央大学を受験しようとしている人がいました。その人が中央大学の校歌の楽譜を持っていて「歌を覚えたいのだけれど、楽譜が読めないので覚えられない」と言っていたので、私が楽譜を見て教えてあげました。この時、楽典を丸暗記し、音楽の勉強をしていたことがようやく役に立ちました。その受験生は大変喜んでくれたので、私も大変ありがたく感じました。これは演歌の作曲家になるために東京に出てきて初めての音楽に関する出来事です。このことがすぐには吹奏楽には結びつかないのですが、演歌とは仲間のような関係ですので、「ようーし、これからやるぞ」という思いが心一杯に広がっていきました。
 それから数回転職をして、藤原氷店という氷屋さんの配達夫として働くことになるその少し前に、楽器店で中古のクラリネットを買いました。しかし氷屋さんは朝早くから、夜は遅くまで働かなくてはならないので、クラリネットを練習する時間など全くありません。また、クラリネットを吹くと周囲に迷惑をかけてしまうので、練習することもできませんでした。しかし楽器店で買ったときに、指使いなどを教えてもらい、何とか音を出せるようにはなっていました。何でもそうですが、練習をしなければ上手くはなりません。朝早くから夜遅くまで毎日忙しく、寝る時間は4時間か5時間位で、クラリネットに触ることも難しかったのです。しかしよく考えてみますと、私はトランペットかトロンボーンを吹きたいという思いを、北海道にいた時から抱いていたので、クラリネットは私の性に合わないように感じ始めていました。私の指は農業をやっていたせいか、ゴツゴツしているのでクラリネットには合わないのではないかとも思い、手放すことにしたのです。
 藤原氷店は夏が過ぎるとほとんどの従業員は退職をしたのですが、主人はどういうわけか私の退職を認めませんでした。それどころか「養子になってくれ」と何回も何回も言うのです。秋になると氷屋さんは暇になります。そこで店先で鯛焼きを初めました。私は器用なところもあり、1人でも上手に焼けるので主人はものすごく気に入ってくれ、「何とか養子になってくれるよう北海道の両親に手紙を出す」と言うので私はそこで決心をしました。「私には夢がある。氷屋さんで一生を過ごすことはできない」と思ったので、主人に対して「とてもありがたいお言葉ですがそれはできません」と言って断りました。しかし主人はあきらめ切れない様子でした。




吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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