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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第四回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



④東京行きは可能か

 東京行きを決断したのは、夏の終わりでひえという草取りの時期でした。しかしながら私はお金を持っていませんでした。秋の農作業が終わった時に、自分のお金が無いと動きが取れないので、旭川市の鉄工場にアルバイトとして雇ってもらうことにしていました。家から比布駅まではおよそ3キロ~4キロ程あります。歩いて駅まで行き、さらに汽車で旭川まで行きます。そこからまたしばらく歩いて鉄工場まで行きます。朝は9時から夕方5時頃まで、毎日毎日東京に行くためのお金を作ろうとアルバイトをしましたが、何しろ給料はめちゃくちゃ安いので東京行きの費用を作るなど、とても無理だとあきらめる以外にありませんでした。しかし、姉が結婚する前までにはどうしても東京に行きたい。その一心はびくともしませんでした。私の思い込みというやつで必ず行くようになるとの信念が燃え盛っていたのです。まだ東京に着いてもいないのに、東京の音楽学校に入り、音楽についていろいろ学び、必ず演歌の作曲家になるか、もしくは吹奏楽の楽器を吹くようになることだけしか考えていなかったのです。もう東京に行くことを決めていたので、まずは「音楽辞典」は全部覚えなければならないと思い、空いた時間はすべて「音楽辞典」覚えることにだけに集中しました。
 旭川の鉄工所で働いている時に、奇跡が起きました。そこは鉄工所なので、鉄道のレールがたくさん置いてありました。長いものから短いものまで、そこら中にレールばかりあります。レールは重いので作業員が皆で力を合わせて移動しなくてはなりません。その時のことです。作業中は分厚い手袋をしています。その時も私は端の方を担当していたので、両手で端を持って持ち上げようとしたときです。私がほんの一瞬だけ端から手を離したその瞬間です。レールとレールが強力な力で火花を出してぶつかったのです。私はその時「助かった」と思いました。もし一瞬でも遅かったならば、私の両手はレールとレールの間にあったので、つぶれていたからです。そしてすぐにこのように思いました。『両手がつぶれると吹奏楽の楽器が吹けなくなる。また、演歌の作曲をする時にピアノも弾けなくなる。良かった、本当に良かった』と胸をなでおろしたのです。確かにこの時、両手の指先が無くなっていたならば、吹奏楽は完全にあきらめなければなりません。ピアノも弾けなくなるので、演歌の作曲もできなくなってしまいます。このように私の毎日はこの二つの夢と希望とで重なり合っていました。この二つがあったからこそ、生きる力が湧いていたのです。この二つを両手の指が無くなるなど、私は思ってもいませんでしたが、一瞬レールから手を離したことが幸いして、二つの夢をつなぎ止めてくれたのです。まさしく、これは私を救ってくれた奇跡ではないかと思ったのです。
 さて、姉の結婚も迫っています。その前に何とか手を打たなくてはなりません。しかし、全く考えもつきません。毎日毎日考えているのですが、その方法が見付からないのです。そんな気持ちでいたとき、旭川市の街頭スピーカーから美空ひばりの歌が流れてきました。小雪が降る寒い日の夕方です。「ひばりのマドロスさん」という歌です。「船のランプを淋しく濡らし 白い夜霧のながれる波止場・・・」私は演歌が何よりも好きなので、演歌を聴くと力が自然に湧いてきます。旭川の街頭をひばりの歌を聴きながら歩いていたとき、あることを思いついたのです。それは、現在は比布村に住んでいますが、満州からの引き揚げのおじさんのことです。そこの長男、つまり私にとって従兄弟が今は苫小牧に住んでいますが、以前は東京に住んでいたということを思い出したのです。「ひばりのマドロスさん」を歌ってくれたひばりさん、ありがとうというところです。私は翌日早速おじさんの家を訪ねて従兄弟の住所を聴いて手紙を出したのです。当時は現在と違って電話など一般家庭には無い時代なので、手紙が唯一の通信手段なのです。従兄弟が東京に住んでいるときの東京の生活のことなど、できるだけ詳しく教えて欲しいと、また更にもし良かったら私を東京に連れていって欲しいという手紙を出したのです。勿論、東京に行く理由は、東京に出て音楽の勉強をして演歌の作曲家になるか、吹奏楽団に入って楽器を吹くようになりたいとか、細かく私の夢と希望を書いて速達で送ったのです。
 私はこれでほっとしました。もうこれで東京行きが決まったと思いました。酒は弱くて呑めませんが、祝杯をあげたい気持ちでいっぱいになりました。"楽器はトランペットにしようかな?トロンボーンにしようかな?"このような夢ははじけるばかりです。まだ実際に東京に行ってもいないのに、思い込みの強い私はそのことだけしか考えないのです。そして"どんな吹奏楽団に入ろうかな?"と考えていました。旭川市の街頭のスピーカーから流れてきた「ひばりのマドロスさん」は私の東京行きのための記念すべき曲となったのです。今でもその情景が思い浮かびます。夢と希望を胸いっぱいに抱えながら、小雪の舞う旭川の街頭をゆっくりと歩いてる姿を・・・。
 それからしばらくして従兄弟から手紙の返事がきました。その中に銀座の松屋とか、松坂屋とかいう言葉が書いてありましたが、私にとりましては農家の一軒家のようにしか聴こえませんでした。さらに良いことは、従兄弟が「自分も東京に行きたい。」と言うのです。けれども「東京に行くのは汽車賃が高いので行きたくても行けない。」というのです。「もし汽車賃を出してくれるなら東京に連れてっても良い。」との返事です。しかし私も全くお金はありません。私の家も貧乏なのでそんなお金は無いのです。もうすっかり東京行きが決まったと思っていたのに、まだ難問が降りかかってきたのです。トランペットやトロンボーンどころではなくなったのです。それからの私はお金をどうするかが大きなテーマになっていきました。もし従兄弟が東京に連れていってくれなければ、ミュージックエイトという吹奏楽の楽譜の出版社の存在は勿論無かったのです。このように考えると、次のひらめきはとてつもない大きなことでした。




吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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