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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第三回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



③東京行きを決断する

 旭川市の商工会議所前で耳にした吹奏楽から、3年半位経ったときのことです。
当時の父との関係は最悪の状態でした。3才半のときに父が支那事変から戻ってきた時から、父は姉ばかりを大切にして、私をいつものけ者扱いにしました。そのことに対しての嫉妬心がいつもメラメラと燃え盛っていました。それが18才まで途切れることなく続いていました。そんな時にでもラジオから流れてくる演歌を聴くと、いっぺんにそれらのことは忘れてしまい、心は安らかになっていきました。ラジオから流れてくる演歌によって姉に対する嫉妬心が消えてなくなる特効薬のような効果が私にはありました。演歌は私の心を救ってくれて安らぎを与えてくれました。
 それにしても、吹奏楽は大きな音・輝きのある音・元気の出る音・勇気が出てくる音・私の夢を空高く舞い上げてくれる音・どの角度から見ても魅力のあるものです。たった1回の吹奏楽の野外演奏会に出会ったことは、忘れようとしても忘れることができませんでした。農作業をしながらもこんなことばかり考えているので、自分自身がどうにかなってしまうのではないかと心配してしまう程でした。こんなことは母にも姉にも言ったことはありません。何故ならば、東京に出て演歌の作曲家になることを宣言しているので、今度は「吹奏楽の楽器を吹きたい」などと言うと、「心移りをしている」と馬鹿にされることが解っていましたので、それは口が裂けても言うまいと心に決めていたのです。ですのでこのことは、誰も知りません。この頃から私の嫌なことは"馬鹿にされたくない""負けたくないという負けず嫌いの性分""思い込みのくせ""気が短くすぐ顔や態度に出る"この他にもまだまだたくさんの欠点がありますが、この吹奏楽の楽器を吹きたいという気持ちは、「心変わりをしている」と馬鹿にされたくないという思いの方が強く出ているのです。
 演歌の作曲家になる夢の他に、強力な吹奏楽の方に魅力を感じた私は、時には旭川に自転車で楽器店に行き、管楽器を見るようになっていきました。管楽器はみんなピカピカに光っていて、欲しくて欲しくて仕方がないのですが、とてつもなく高い値段が付いていました。家が貧乏だったのでとても買える値段ではありませんでした。仕方がないので、比布村と旭川市は遠いけれど、どうしても見たくなったときは、楽器店に通うことにしたのです。吹奏楽と言えば、クラリネットやサキソホーンが有名ですが、私の気性に合うのはやはりピカピカと光っている管楽器で、夢を叶えるのはトランペットとトロンボーンでした。万が一、買えたとしても、教えてくれる人がいなければどうしようもありません。旭川は遠いのでそんなに何回も行けませんし、教えてもらうにもお金がかかります。比布村という小さな村にそんな指導をする人などいません。やはりどう考えても、トランペットとトロンボーンはあきらめる外にありません。毎日農作業をしながら、こんなことばかり考えていたのです。しかし、月日はどんどん経っていきます。何とか「東京に出たい」と、このことについてはミミズさんの件があってから消えてしまうことはありませんでした。夢と希望はあるけれど、両親の反対ははっきりとしているし、貧乏で東京まで行くための汽車賃も無いし、東京の知り合いなどいないし、一体どうしたら東京に行けるんだろう・・・と毎日そのことばかり考えていました。けれども全く良い考えなどありません。そんなとき、姉が結婚することになりました。これは私にとって大変なことになります。というのも、父は昔から農作業はあまりせずに、母と姉と私の3人がいつも田んぼに出て仕事をしていたので、もし姉が先に結婚してしまったら、私の東京行きなど全く不可能になってしまいます。「もう待ったなし」です。1日も早く対策を立てなくてはなりません。母1人で5町歩の田んぼ仕事は不可能です。姉が結婚する前に、私が東京に出る以外には方法はありません。もし私が東京へ行くと、きっと姉は何か考えてくれるのではないかと思いました。こんな窮地に追い込まれても、演歌の作曲家になることと、吹奏楽の楽器を吹くことをイメージすると一気に心が明るくなりました。気持ちがずんと暗くなったりパッと明るくなったり、交互にそれが心の中で起きていました。
 丁度夏も終わり、ひえ取りの時期に入りました。いつものように母と姉と私と3人で稗取りをしていました。父は普段ほとんど田んぼに出ないのですが、その日に限っては途中から田んぼに出ていたのです。そのことを知らずにいた私は父の悪口を大きな声で言っていました。ところが、私の悪口を父がそばで聴いていたのです。突如、大音響が聴こえました。「何だ、この野郎!もういっぺん言ってみろ!」と父の怒鳴り声が聴こえました。私はこの瞬間、「しまった!」と思うと同時に、家の納屋に向かって一目散に逃げ込みました。父は草相撲取りで力は強いし、走るのも人よりも速いですし、捕まったらとんでもないことになってしまいます。父は堆肥用の大型のフォークを持って追っかけて来ました。納屋は農家の納屋ですので2階には丸太棒を並べて作ってある簡易な2階です。下から大きなフォークで突っついてきました。私は2階をあちこちと逃げ廻りました。もし突き刺さったら大怪我をしてしまいます。何とか逃げまくっていました。母が父をなだめに来ましたが、なかなか父の怒りはおさまりませんでした。私はこの時、"私は絶対に東京に出る"と誓いを立てたのです。逃げながらこの決意を固めたのです。しばらくして父も疲れたのか、おとなしくなったのですが、私はしばらく2階の丸太の上で震えていました。
 しかし、この件は私にとりましては、東京行きの決断が出来たので、不幸中の幸いでもありました。姉は来年の春に結婚すると言っていたので、その前に東京行きの結論を出さなくてはなりません。こんな心がズタズタになる状況であっても、吹奏楽の楽器を吹くことを想像すると、急に未来が明るくなってきます。これ程、吹奏楽の力は偉大であり、力を呼び寄せてくれるものだと知ったとき、私の将来の方針は、決まったように感じたのです。



助安由吉の作品集
音源ダウンロード
演歌 お母さんのひとこと(歌:瞳 勝也)
おふくろさんから来た手紙(歌:瞳 勝也)
(1966年・31才の時)
歌謡曲 こころの輪(作詞:助安 由吉 作曲:日野 雄策 歌:助安 哲弥)
今がその時(歌:助安 哲弥)
(1994年・59才の時)
吹奏楽 愛のはばたき
ミドナイト イン トウキョウ
真珠採りの歌
駅馬車
(演奏:海上自衛隊東京音楽隊)
(1960年・25才の時)
環境詩 緑したたる地球を守ろう(ナレーション)
緑したたる地球を守ろう(英語版のナレーション)
(1971年・36才の時)

吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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