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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第二十回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



20.ホルンの三つの音

 担当楽器が決まってから、毎日トロンボーンの練習をしていました。夕食後も真面目な人は練習をしていたので、私も負けじと練習に励んでいました。私は小さい時から“人には負けたくない”と思うくせがあります。小さい頃はその相手が姉でした。姉はなんでもできる人で、手先は器用ですし、力もありますし何をやるにしても早く終わります。私はその姉に負けたくないという思いが強くあり、負けると悔しさで気が狂いそうになっていたくらいです。特に田んぼの苗植えや稲刈りや畑の草取りに負けると、心の中で大変に悔しい思いをしていました。これと同じように練習においても人さまに負けるわけにはいきません。楽器はそれぞれ別であっても、練習時間だけは負けたくありませんでした。そのおかげか入隊後それほど経たずして一通りの楽譜は読め、楽器も吹くことができるようになりました。
 そんな時のことです。音楽隊の古参の方が「助安は背が低いからトロンボーンではなく他の楽器に替えさせた方が良いのではないか」と言っているとの話を耳にするようになりました。それは街頭行進の時、1人だけ背が低いと全体のバランスが取れず見栄えが良くないから、という理由でした。すぐにこの話は隊員全体に行き渡り、あれほど大好きだったトロンボーンから離れなくてはならなくなってしまいました。自分でも客観的に見れば、真ん中だけ低いと全体的にとてもおかしいと思うので、一応納得ができることです。街頭行進の時だけトロンボーンからアルトホーンに替えて、演奏の時はトロンボーンにしようと思っていたのですが、それは駄目だと緒方隊長に言われてしまったので、表向きはにこやかに担当楽器を替えることに従いました。アルトホーンはバンドの中では中位の音で、演奏上は後打ちが主で難しいフレーズはあまり無いので、トロンボーンに比べると楽といえば楽な楽器です。そしてこのトロンボーンからアルトホーンに替わったことが、のちのちの最高の体験につながります。当時、ホルンはあまりなかったのでアルトホーンでしたが、だんだんと社会情勢が良くなり音楽隊にもアルトホーンの代わりにホルンが入ってきました。このホルンは音がコロコロと変わって難しい楽器ですが、うまく吹けるととても良い音がします。バンド全体にホルンの和音が加わると、ほんわかとし大変心地よい音をかもし出す特徴を持っています。
 私がずっとあこがれていたトロンボーン吹きの継続は不可能になりましたが、それから数カ月後に大変なことが起こりました。3本のホルンが音楽隊に入り、今まで使っていたアルトホーンが無くなったのです。楽器が代わっただけで楽譜は同じです。ホルンの音の素晴らしさはものすごいものがあります。ホルンのリーダーは士長の岩岡さんで大変素晴らしい演奏技術を持っている方です。私はトロンボーンのセクションからホルンに代わったため、練習は今までよりたくさんやらねばなりません。そのため私1人が夜学に通っていると演奏がおろそかになるので、夜学は辞めよ・・・という先輩の意見がとても強かったので「退学をします」と緒方隊長に伝えると「それは駄目だ。せっかく夜間高校に入れたのに退学は許さん」ということになり、岩岡さんもそれに同意する以外にありませんでした。
 3人ともそれぞれのホルンに慣れてきました。リーダーの岩岡さんは1番パートで私が2番パート、3番パートは田口さんでした。2人とも階級は士長です。この3人で楽譜を見ながら練習をしていた時のことです。それは突然に起こりました。今まで何回やっても完全にハモることはなかったのですが、そのときは偶然かどうか判りませんが、3つの音が完全にハモったのです。そのときの大感動は今現在でも忘れることはできませんし、一生涯忘れることなどありません。3つの音には宇宙大のような広がりがあり、地球から宇宙へのこだまとなって広がり、すべてのすべてを包み込んでいるように感じました。練習している3人の人間が単なる人間ではなくなり、神々しさの中に入り、光の波動を伴って地球全体とひとつになっているような、異次元の世界に入ったような、全く言葉では表現のできない空間に置かれたのです。
 しばらくたって意識が元に戻ったとき「これで俺はいつ死んでもいい」と心からそう思いました。音楽はこのような世界とつながっていることを理屈抜きに実感することができました。この体験が5~6年後に(株)ミュージックエイトを創る大きなきっかけとなります。人生とは不思議なものです。一寸先は闇だといいますが、私は一寸先は光だと実感できる体験をしたのです。もし私の背が高くて問題なくトロンボーンを吹いていたならば、この体験は無かったと思います。何がどうなるか人生は判らないものです。私の背が低いがためにトロンボーンからホルンに代わり、そして3つの音がハモるという大感動を体験できたのです。もし希望通りトロンボーンを吹いていたならば、この大大感動を体験できなかったことは間違いありません。ホルンという音の良い楽器を通して、3つの音がひとつになるという奇跡・・・このときホルンを吹く3人の魂も完全に音と一緒になっていて、宇宙空間で溶け合っていたのではないかとの錯覚を感じていました。これは理屈や理論で表すことのできない、音楽の神さまからの愛の雫だったのかもしれません。
 それから1965年、私が30才のとき(株)ミュージックエイトを創立しましたが、その1番目の理由はこの時の3つの音の完全なるハーモニーを体験した事でした。第2番目は旭川市で初めて生の吹奏楽を聴いた感動からくるものです。第3番目は、音楽隊にいた時に私が編曲をした「南国土佐を後にして」を発表したことです。これらは単なる言葉では言い表せないほどの大大大感動でした。小さな力だったかも知れませんが、この3つがのちのち日本中の子どもたちにこのような体験を味わってもらうことになるのです。クラシック中心の吹奏楽界に異端児がわき目もふらずに乗り込んで行く始まりとなりました。そしてこの3つの体験があって初めて(株)ミュージックエイトをスタートすることができたのです。
 この3つが心の中にデンと控えているので、何回も何回も倒産間際に追い込まれ、周囲からの大反対の大音響にもめげずに何とかやり遂げることができました。





吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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