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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第十八回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



18.音楽隊に入る

 後期の新隊員教育が終わり、あこがれの吹奏楽団である第1管区音楽隊に行くために、霞ヶ浦の航空基地から東京へ向かいました。今までは自分の中だけでの架空の吹奏楽団でしたが、今度は本物の吹奏楽団であり、実際に活動中である自衛隊の音楽隊です。ですが実際にはどのようなものか全く見当もつきません。荷物をまとめて東京へ向かいましたが、北海道から東京に行くのとは全くわけが違います。夢と希望の実現のために向かうので心配や不安は無く、喜びが心の底からふつふつと湧き出してくるのを感じていました。そして今度は自分の楽器ではなく、音楽隊の楽器を使うのです。まだ楽器を与えられてもいないのに、トロンボーンに心の底から「ありがとう、これからもよろしくね」と何回も何回も列車の中でブツブツと言っている自分がいました。
 ようやく練馬にある第1管区音楽隊に着きました。そこでは担当の方が出迎えてくれました。そしてその方に「あいにく今、音楽隊は演奏旅行に出ているので20日間ほど帰ってきません」と言われました。私は一寸がっかりしました。緒方隊長に会えると思っていたのに、あと20日も待たなくてはなりません。でも、演奏旅行とはすごいなぁと思いました。私もこれからあこがれの吹奏楽団に入り、あちこちと演奏旅行に行くのかと思うと、今から心がウキウキとして喜びが止まりません。そんなことを考えていると、担当者が「緒方隊長から指示がありました。助安君は楽典を全部知っていると聞いたので、新入りの音楽隊員が6名ほどいますので演奏旅行から帰るまでの間、その新人たちに楽典を教えるようにと言われています。」と言うのです。さぁーて困ったと思いましたが、楽典はほとんど理解しているので何とかなるかも知れないと思い「やらせて頂きます」と答えました。
 翌日から新入りの音楽隊員が合奏室に集まり、黒板を使って楽典の講義を初めました。しかし6名の新入りといっても、みんな階級は上の人ばかりです。私は入りたてのほやほやの大新人です。階級は1番下の2士で、これより下はありません。6名は自衛隊歴3~4年で、全国の隊から集められた人たちです。楽典は知らなくても、自衛隊歴が長くみんな階級が上なので、話をするときには敬語を使っていましたが、何か違和感があり、最初の1日は戸惑ってばかりいました。しかしそんなことではせっかくの楽典は身に付きません。緒方隊長が帰ってくるまでに基本的な楽典は覚えてもらわないといけないと思い、2日目からは厳しく教えることにしました。毎日が楽典の勉強なので、6名とも大変かと思いますが、甘やかすと何にも実に付くことはないと思いました。自衛隊に入りたてのペイペイが指導者となって教えるので、みんな私に対して反感を持ちながら時間を費やしているのを感じていました。ここで気合いを入れなければならないと思い、曲のコードネームの付け方を一通り説明したあとに、新しい曲を黒板に書いて「この曲に今教えたコードネームを付けるように」と言って個人個人の力を試すようにしました。これはものすごく効果がありました。ペイペイで新入りの指導者という概念が急になくなったのです。それぞれが真剣に取り組むようになりました。私を楽典の先生と思うようになってくれたのです。今まで横柄な態度をとっていた6人とも、私に対して尊敬の念を抱くようになっていたのです。
 あとで担当者に聞いたのですが、音楽隊は実力主義で、階級はなんの価値もないとのことです。例えばトランペットの1番のパートを吹く人は、それなりの技術を持っていなければ演奏は成り立ちません。いくら階級が上であっても演奏技術がなければ2番のパートや3番のパートを吹くようになってしまうとのことです。音楽隊に限っては一般の自衛隊と違って階級や自衛隊の在籍年数は全く無関係なのです。それを聞いて納得しました。私はすぐ調子に乗るくせがあるので、「ようーし、やるぞ」「音楽隊では階級も1番下で入りたてのホヤホヤかも知れないが、どんどん力をつけて1番の大貢献者になってやる!」という決意がこのときに生まれました。北海道にいるときに楽典だけは一生懸命努力をして身に付けたことが、こんな時に役立つなんて考えてもいませんでした。旭川市で初めて聴いた吹奏楽が楽典を学ぶきっかけとなり、そして架空の吹奏楽をいつも夢に見て、苦しいとき、つらいとき、悲しいときに力を得てきましたが、今度は本物です。夢と希望ではなく、現実化するのです。とにかく緒方隊長が帰って来る前までに、6名の新入りの隊員に基礎の楽典をすべて覚えてもらうために、一生懸命励むことにしました。幸いに6名とも、私を馬鹿にすることなく一心同体で学んでくれるようになり、演奏に困らないだけの知識は身に付いたと思います。
 20日間の出張演奏が終わり、音楽隊は練馬の駐屯地に帰ってきました。その夜、緒方隊長から自宅に来るようにと言われ、駐屯地の近くの“梅花荘”に緒方夫婦を訪ねました。そこで初めて緒方隊長夫婦に会いました。そこには私を紹介してくれた古庄君もいて、私を大歓迎してくれました。そして奥さまはおいしい手料理をたくさん作って下さり、そのもてなしに“私の人生はここから変わっていく”ことを実感しました。私は北海道のどさん子であり、背も音楽隊では1番低く、さらに中卒でもあり欠点だらけなのに、とても大事に思ってくれました。このようなことは、それまでの人生の中ではありませんでしたので、ただ嬉しさでいっぱいでした。緒方隊長は「よく来たね、一緒にやっていこう」とごつい手を出して握手をしてくれました。奥さまは「昌雄はこんな良い人をよく紹介してくれたわ。がんばってね」と言って泪ぐんでくれました。古庄君は「助安君、良かったな」と言ってニコニコとしていました。この3人のご恩は一生忘れまいとこのとき心に誓いました。





吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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