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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第十七回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



17.古庄昌雄君との出会い

 新隊員の教育は前期と後期、それぞれが3ヶ月間で、合計6ヶ月間あります。そのあとは、それぞれの職種に配属されます。久里浜での前期の教育のときのことです。各班の30人は、大きな部屋の中にある2段ベッドで寝ます。そのとき私のベッドの隣りの人が話しかけてきました。その人は、熊本市の出身で古庄昌雄さんといいました。部屋にいるときは毎日顔を合わせるので、自然に色々な雑談をするようになりました。私は北海道の比布村出身であり、古庄君は南の熊本市出身で、距離的にはだいぶ離れていますが、なぜか気が合いよく話をしていました。その話の中で、古庄君は大学を卒業しているので、本来ならば幹部候補生としての教育を受けるようになっていたはずなのに、身体検査のとき医者のミスで不合格になってしまったということを聞きました。しかし再度検査の受け直しをして医者のミスが判り、急きょ久里浜の新隊員教育隊で訓練を受けることになったとのことです。普通ならばここに来ることはなかったとのことです。しかし「助安君に会えて良かったです」とニコッとしていました。本来、古庄君は無口な人です。私と話をするときは何でも話してくれますが、他の人とはあんまり話をしません。よほど2人ともに相性が合うのかな・・・と思っていました。毎日夕食が終わったあと、部屋のベッドの上にお互いに座り雑談をしていました。古庄君のお父さんは軍人で、佐官クラスの偉い方だと言っていました。私も古庄君を見ていると、体格もがっしとしているのでお父さんの雰囲気がただよっているように見え、一般隊員との差を感じていました。そして体力測定のとき、特に飛びぬけていることが判りました。100メートル・幅飛び・1,500メートル・投擲・けんすい・土嚢かつぎなどがあり、1級から5級までありますが、古庄君はすべて1級でした。別格だったのは、1,500メートルです。私は6分近くかかって走るのに、古庄君は4分前半で走るのです。他の隊員との差はあまりにも大きく、皆あっけにとられていました。そのあと古庄君は自衛隊において順調に進級し、3佐(旧陸軍では少佐)までいき、お父さんと同じクラスまでいったとのことです。さらにスポーツ万能でしたので、ハンドボールの審判や硫黄島遺骨収集団の団長として活躍されたそうです。  雑談の中で「ところで助安君は将来何になりたいの?」と聞かれました。そのとき私は小さい時からの夢でもあった歌謡曲の作曲家になりたいことや、初めて聴いた吹奏楽団で感動し、将来は吹奏楽団でトロンボーンを吹きたいことを話すと古庄君はびっくりした様子でした。そして「トロンボーンは吹けるの?」と聞くので「少し位なら吹けます。日本で有名なトロンボーン奏者の東本安博先生から教わりました。これからもトロンボーンは吹きたいと思っています」と言うと古庄君はどんでもないことを話し出しました。「俺の姉は練馬駐屯地にある第1管区音楽隊の隊長でもある緒方太助さんと結婚をしていて、現在練馬に住んでいるんだ」と言うのです。これを聞いた私は飛び上がらんばかりにびっくりしました。それは16才のときから吹奏楽団に入りたい、そしてグレンミラー物語の映画を観てからは、軍楽隊に入りたいとの夢を長年ずぅーと持ち続けていたからです。何か困った時やつらい時には、吹奏楽団で楽器を吹くことをイメージして乗り切ってきました。古庄君の話を聞いたとき、その実現が夢ではなく現実になるように感じたのです。これは奇跡という以外に言葉がありません。古庄君が医者の診断ミスで私たちと一緒に訓練をすることになったこと、そしてそこで私と隣り合わせのベッドで、古くから友人でいたような親しさで接してくれることなんて普通ならあり得ません。そして古庄君は「助安君が本当に音楽隊に入りたいのなら、姉に連絡をし隊長に話をして入れてもらえるようにするけど、本当に入りたいの?」と言いました。私は「もちろんです。私にとって長年の夢が叶うばかりでなく、将来の生き方にかかわる大きな問題です。どうか古庄君、私を音楽隊に入れるようにして下さい」と頭を下げて心からのお願いをしました。  私は自衛隊に入るまで、生命の危機や生活の危機を奇跡のような形でいくつもいくつも乗り越えてきましたが、これはまさしく奇跡の中の奇跡と言えるものではないかと思うのです。もし古庄君に出会うことがなければ、音楽隊に入ることは大変に難しかったと思います。私の吹奏楽に対しての思い入れが、古庄君の診断ミスにつながり、私との出会いになったのでないかと思うくらいです。こんなことが現実に起きることの不思議さを、私はしみじみと感じ取っていました。  後期の新隊員教育隊の私の任地場所は、霞ヶ浦の航空基地でした。そこで今度は専門の教育を受けます。モールス信号や気象航空写真などの教育ですが、私は航空写真を選ぼうと思っていました。そして初めて体験飛行があり、2人乗りの小さな飛行機で東京上空へ行き、その上で宙返りをすると上の方に東京の街が見えました。無事、霞ヶ浦にたどり着いた時はぐったりとしていました。  それからしばらくして、担当者から呼び出しがあり「助安は東京練馬の駐屯地にある第1管区音楽隊からの要請で今度そちらに行くことになった」と言い渡されました。古庄君の言ったことは本当だったんだと思うと、ありがたくてありがたくて泣きそうになりました。そして後期訓練が終了し、皆さんの前であいさつをすることになりました。私は人前で話をすることなど全くの苦手でただオロオロするばかりでした。15回目の転職の間は多くの人々の前に立つこともなく、あいさつなどもしていなかったので面喰らうばかりでした。「心づくり」をしてからの私は、何百人の前でも緊張することなく、人前で話をすることができますが、霞ヶ浦の駐屯地での別れのあいさつはぎこちないものでした。そして古庄君に対しては心からの感謝の気持ちが湧き出していました。




吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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