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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第十六回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



16.新隊員教育隊

 陸上自衛隊に入隊し、30人を1班として4つの班に分かれての訓練が始まりました。朝はラッパの音で起床しグランドに出て整列をします。そこから新隊員としての1日の訓練が始まります。まず顔を洗ってから食堂で食事をし、そして厳しい訓練がスケジュール通りに行われます。走ったり体列行進をしたりして身体を徹底的に使います。手足・お尻・お腹・肩など全ての身体の隅々まで鍛えるので身体のあちこちが痛み、オナラをするのさえ辛く感じるほどでした。しかし痛みがあるのは1週間か10日間くらいで、その後は痛くなくなります。はじめは厳しく感じていましたが、その後は徐々になれていき、楽しさを感じるほどになっていきました。
 私は15回ほど転職をしましたが、これほど身体をとことん使ったことはなかったので最初はとても面喰いました。しかし私は北海道の“どさん子”と呼ばれ、実家は米作り農家を営んでいたので、都会育ちの人から比べると体力は抜群にあります。それに今までの様々な職とは異なり、規則に従ってさえいれば何の問題もなく快適に過ごすことができるのです。
 毎日各班に作業員の募集があり、私は率先して毎回作業員として色々な作業に出ていました。私があまりにも作業に出るので「助安、お前はいつも作業に出ているからもう出なくていい」と何回も言われていましたが、他のみんなは作業が嫌なのかわかりませんが、私の他には作業員が集まりません。私にとってその作業はとても楽しく、転職ごとに身体を使ってきたので、それらのことから考えたら短時間で終わる作業なんて楽なものです。ですから作業員の募集が出ると必ず参加していたのです。また新隊員教育隊時代から、起床ラッパが鳴り身支度をしてグランドに整列をするのですが、私はいつも一番に来て並んでいました。3年間、いつも1番でした。私は寝ている時から既に心の準備が出来ているので、起きて支度をすることも人よりも早く出来ます。新隊員の時はみんな1番先に並ぼうと競争していましたが、各隊に配属されてからはそういうことはなくなります。特に冬の期間は全員が並び終えるのに5,6分もかかります。私はいつも1番先に並ぶと決めているので全員が揃うまでは寒さに震えることになります。おばあちゃんの教育で「1度決めたらやり抜くんだ」を実践していたからです。だからどんな時でも1番先に飛び出して並んでいました。それに私はなぜか起床ラッパの鳴る数秒前に目が覚めてしまうので、心の準備が人よりも早く出来ていたのです。どうしてこうなるのかは私には解りませんが、なぜかそのようになっていました。
 3カ月間の前期の訓練期間中には頻繁に筆記試験がありますが、私は90点以下の点数を取ったことはありませんでした。ほとんどの隊員は高卒で、中卒は私を入れて2人だけでした。そのような中でいつも90点以上の点数を取っているので自分でも不思議でした。また身体を使う訓練では、私は身長156㎝で一番小さいチビながら全ての訓練をクリアしていました。ある日、班全員で相撲を取りました。私の相手はこの班で1番大きく太い人でしたが、アッという間に倒してしまい、みんなをびっくりさせました。また班の中で腕相撲を取ることがありましたが、私はいつも1番で負けたことがありませんでした。
 小学校時代から野良仕事を続けており、夏には馬の飼葉のために草を刈ったり、冬には生木を切り、馬そりまで父と運んだりしていたので自然に力が付いたのだと思います。枯れ木は軽いのですが、生木は水分を含んでいるので少し大きな枝であっても肩に食い込むほどの重さがあります。それを北海道にいる間ずっとやっていました。中学を卒業する頃には60kgの米一俵を担ぐことも出来ました。ですので都会育ちの人や、農作業をしたことのない人には体力では負けませんでした。
 そういうこともあって評判になったのか、当時「助安ってどんなやつだ?」といって、いろんな隊員が見に来てびっくりしたのをよく覚えています。
 そんな新隊員教育隊時代でしたが、いよいよ私の小さい時からの夢、小学校5年の時に演歌の作曲家なりたいと思ったこと、そして中学を卒業してから初めて旭川市で生の吹奏楽を聴いて感動し、その結果楽器を吹きたいという夢がもうすぐそこまできているのです。まだ実現はしていませんが、自衛隊に入隊した以上、吹奏楽団に入らなければその夢は叶えられません。“そのために東京に出て来て15回もの転職を繰り返し、その度ごとの苦しさの中で夢と希望を持ち続けてきたのだから実現するはずだ”そう思う以外にありませんでした。





吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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