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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第十四回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



14.電気工事の助手

 初めて東京に着いた翌日から数日間、私は従兄弟のおばさんの家にお世話になっていました。おばさんの長男は電気工事の下請けをしていました。二男は法政大学のボクシング部、そして三男は法政大学入学希望の受験生でした。14回目の転職先から、久し振りに電話をした時、おばさんから「ちょうど良かった。長男が電気工事の下請けをしていて人が足りなくなったので手伝って欲しい。」と言われました。おばさんには初めて東京に出てきたときに大変お世話になっていたので断ることもできず「僕で良かったら使って下さい」と返事をしました。“展望閣”で板前の助手はしていましたが、料理人になることなど全く考えてはいませんでした。私の夢と希望は演歌の作曲家になるか、吹奏楽の楽器を吹くことです。もし“展望閣”の美しく優しい帳場のお姉さんが一緒になってくれると言ってくれていたら別でしたが、当面その望みは叶えられそうにもありません。そうすると“展望閣”を辞めても何の問題もありません。そう思ったのですぐに辞める決断をしました。それともうひとつおばさんの家に行く理由がありました。数ヶ月前に陸上自衛隊の募集に応募し試験を受けていたのですが、当時私は職と住所を転々と変えていたので、私の住所では採用通知が届かないかも知れないと思い、おばさんの家の住所を書いて出していたのです。もし幸いにも合格の通知が届けばすぐに判るので、最高のタイミングです。ということもあり、私は喜んで電気工事の下請けの助手として使ってもらうことにしたのです。
 私は電気のことなど全く解りません。電灯のソケットの中に指を入れて電気が来ているかどうかの確認するのでさえ、私にとっては嫌なことです。ビビーッと感じることでさえ身体が受けつけません。そんな私が電気工事の仕事をするなんて本来はあり得ないことです。
 “展望閣”を2月24日に退職し、25日から電気工事の仕事に就きました。私の仕事は電気道具を運ぶことと、押したり叩いたり引っ張ったりするような細々した仕事が中心でした。仕事のやり甲斐はありませんが、東京に出てきた時にお世話になったことに対しての恩返しのつもりで、私なりに一生懸命働きました。どちらかと言うと、今までの仕事よりも身体を使うことが多く大変な内容でした。そんな時、私は仕事をしながらも夢を見るのです。危険な仕事の時はそんなことはできませんが、危険ではない仕事の時は、演歌の新進作曲家になったつもりで気持ちを明るく持っていくのです。さらにトロンボーンをグレンミラーのように吹いている様子をイメージしながら心の中に明るさを作るのです。そうすると目の前の仕事のつらさは全く感じないで済むのです。私の特効薬はいつもはっきりとしています。演歌の作曲家になり全国に私の曲が広がっている様子を思い描いたり、トロンボーン奏者として華々しく世間に認められている様子を想像するのです。これだけで東京での15回の転職を乗り切ってきました。これからもまだまだ続くかも知れませんが、この私の考え方を変えることなどできません。トロンボーンは“展望閣”を辞めるときに楽器の中古屋さんに売ってきてしまったので、おばさんの家にはありません。持っている時は、寝る前にトロンボーンを触りながら「ありがとう」「ありがとう」と声をかけていました。おばさんの家に来てからはそれができないのでとても淋しい思いをしていました。現実的にも、電気工事の仕事は体力を使うので夜に帰宅するとグッタリとなり、何もすることなどできず疲れ切っていました。
 ある日、電気工事のために親方と2人で川崎にある大きな工場に行くことになりました。その工場は今でははっきりとは覚えていませんが、日本鋼管ではなかったかと思います。昼間は工事ができないので夕方6時にその工場に入り、電気の配線がいっぱいある3階部分での作業です。親方は「今日は徹夜になるかも知れないので気を付けてな」と言いました。私は徹夜など一度もしたことがありません。身体は人より頑丈にできてはいますが、寝ないで仕事などできるのかなぁと思い、不安になっていました。案の定、仕事は思うように進まずに夜中の12時も廻り、1時 2時と過ぎていきます。私は技術的な仕事はできないので道具を必要なところに持って行ったり、配線を持ち上げたりの単純な仕事だけです。そのためか3時頃になると睡魔がおそってきて目はしょぼしょぼで足はフラフラです。仕事の場所は配線が所狭しと並んでいて、線をまたがなければ前にも後ろにも行けないところです。その中の中心部分では高圧の電流がブーンブーンと不気味な音をたてています。修理をするのでカバーは外されており、もしそこに倒れたら大変なことになることは、誰が見てもわかります。親方は「そこの高圧線だけには気を付けろ」と注意をしてくれていました。私は「ハイ、気を付けます」とは言ったものの、朝方4時過ぎになると注意力もすっかり散漫になってきます。そんな時、親方に「そこにある道具をこっちに持ってきてくれ」と言われました。私は徹夜に慣れていない上に夜食も取らず、水も飲まずにずっと働き詰めです。既に足元はフラフラ、目もしょぼしょぼで夢遊病者のようになっていました。私の仕事は単純なものだけなので余計に眠気が激しいのです。そして私は一寸離れた高圧線の近くに置いてあった道具を取りに行った時、配線につまづいてもんどり打って高圧線に倒れ込んでしまいました。その瞬間に「しまった、これで身体が真っ黒こげになって死ぬ」と覚悟をすると同時に「演歌も吹奏楽も消えてなくなる」と倒れる一瞬のうちに思ったのです。そしてすべてをあきらめかけて、ハッと我に返った時に、奇跡が起きていました。もんどり打って高圧線の方に倒れ込んだにもかかわらず、反対側に倒れていたのです。「助かった」というよりも、何故このようなことが起きたんだろうと思うばかりでした。「東京での生活が苦しいから何時死んでもいい」と考えていたのに、そのようにはならなかったのです。そのあと親方に道具を届けたのですが、その奇跡のことは黙っていました。





吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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