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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第十三回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



13.お客様第一主義の学び

 14回目の転職は、文京区の本郷にある「展望閣」という旅館でした。雑役夫として採用されました。旅館の中と外の掃除が主な仕事内容でした。朝早くから夜遅くまで、掃除掃除です。雑役夫は私を入れて3人でした。大きな旅館でしたので毎日大変な仕事量です。その中で一番若かった私は突如呼び出され「これからは板前の助手をやってくれ」と言われました。その旅館には3人の板前さんがいました。その中で一番偉いと言われている板前さんにつくことになったのです。この時までに私は13回の転職をしましたが、料理に関係する仕事に就くことは初めてです。しかしこの仕事を受ける以外にはありませんでした。演歌の作曲家になることも、吹奏楽団に入って楽器を吹くことも、ここの仕事とは全くかけ離れています。しかし食べていくことを最優先する以外にありません。そしてそこでも私の器用さは発揮されました。それは板前さんが「刺身」を盛る器につまの大根を付けて出していた時のことです。私はつまの大根で“ひょうたん”の形を造り、上を平らにして“わさび”を丸めて乗せました。それを見た板前さんは大喜びをし、すぐに採用してくれました。それ以後刺身には私の作った“ひょうたんの上のわさび”が出されました。そしてこの話は旅館内ですぐに評判になりました。
 「展望閣」にはとても綺麗な帳場のお姉さんがいました。それ以後その帳場のお姉さんは私にいろいろなアドバイスをくれるようになりました。それがとても嬉しく私は有頂天になってしまったのです。私のいつもの悪いくせです。帳場のお姉さんが私のことを好きになってくれたと勘違いをし、喜びの毎日を送るようになっていったのです。「展望閣」は大きな旅館なのでたくさんの女給さんがいます。その中で年配の女給さんが私をとても可愛がってくれました。何かと優しい言葉をかけてくれたり、お客さまから頂いたお菓子を分けてくれたりしました。私はとても嬉しくなって、その女給さんに特別な思いを抱くようになりました。しかしその女給さんは年配ですので、私の結婚相手にはなりません。それに対し帳場のお姉さんは若くとても美しく、いろいろと話かけてくれるのでどうしても女給さんよりも帳場のお姉さんの方に意識が向いてしまうのです。ですが自分勝手に思い込んでいるだけです。帳場のお姉さんにその気はないのにもかかわらず「好きだ」「好きだ」「好きだ」と毎日思うようになっていきました。帳場のお姉さんが私を好きになってくれたなら、私は夢や希望も捨てて一緒になりたい・・・。と真剣に考えてしまったことは、11回目の転職のS荘での出来事と似ています。
 ある時、板前さんの作った卵丼をお客さまが残され、そしてそれを食べて良いとの許可が出たのでその卵丼を食べました。その時の感動は今現在も忘れることができません。あまりにも美味しく、今まで食べたことのないほどの味だったのです。ひとくち口の中に入れると気絶するほどの美味さです。今まで生きてきて良かったなぁと思ったほどです。板前さんはこれら料理においしい秘伝のタレを使っていました。そしてこの秘伝のタレを作る時は、いっさい人を調理場に入れないで一人になって作っていました。集中して作りたかったのでしょう、そのために出来上がった料理は特別なものなのです。私はこの時に人に喜んでもらうための料理というのは簡単には作れるものではない・・・と心の底から納得しました。これからの私の仕事、すなわち演歌の作曲家や吹奏楽に関することも、この板前さんと同じように研究に研究を重ね、独自のものを作らねばならないのだと心から思いました。この「展望閣」という旅館はものすごく忙しく、お客さまが途切れることはありませんでした。時にはたくさんの団体客が入ると同時に、上流階級のお客さまもたくさん入ります。そういう時が板前さんの腕を見せる時です。私も一生懸命になって刺身の大根と丸めたわさびを心を込めて作りました。
 私の夢と希望とは全く無関係なようですが、仕事はすべてお客さま第一主義に徹していなければならないと身を持って知ることができました。このときの卵丼の味は一生の宝物となりました。これからの人生はこの板前さんのように人に感動を与えるようなものを作ってこそ一人前と言えるのではないか・・・と強く強く思いました。それ以後、現在までその当時の卵丼の味を求めてたくさんの卵丼を食べたのですが、その味は雲泥の差としか言えませんでした。何故このような差になっているのかを板前さんを通して学びました。板前さんは女給さんが料理の一品一品を丁寧に扱わないと怒鳴りつけていました。お膳に乗せたときから客室に運ぶまで、女給さんは気が抜けないのです。私もそばにいながら、どうしてそんなに厳しいのかと思っていましたが、板前さんは何よりもお客さまを大事にしているのです。お客様に最高の料理を食べてもらいたい。だから料理をぞんざいに扱うことはお客様に対して申し訳ないと思っているようです。料理を作った人も、それをお客さまの前に運ぶ女給さんも、心を込めなければその料理は死んでしまう・・・と本気で思っていました。この旅館には有名人もたくさん来ます。小説家や政治家も来るとのことですから少しの手抜きも許されないとの思いは、料理の責任者として当然といえば当然のことです。
 帳場のお姉さんを好きになった私は、用事もないのに顔を見に行っていました。私の仕事の場所は料理場ですので顔を見る機会がないからです。しょっちゅう会えないと逆に好きの度合いが激しくなり、胸が張り裂けそうになるのです。しかし何の力も生活力もない北海道のどさん子の少年を本当に愛してくれることなどないとは感じていたものの、その思いを止めることはできませんでした。こちらに目を向けてくれるようになるには、一流の演歌の作曲家になるとか、一流の吹奏楽団で楽器を吹くようにならないと実現できないと思うばかりでした。しかしそれには時間がかかります。「それまで待ってくれ」など言えるものではありません。この帳場のお姉さんの美しさと優しさを心に刻み込んで、これからの私の夢と希望に向かって進んでいく以外にありません。
 以前に買ったトロンボーンを持ってきてはいますが、旅館は住み込みなので一度も吹くことはできませんでした。それは当然のことです。お客さま第一主義のこの旅館の方針なので、厳しいことが当たり前であり、私の人生の学びの基本にこのときの体験が大きな力となっていることは間違いがありません。





吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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