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吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~ 第十回

吹奏楽を愛して ~65年のあゆみ~
(連載100回)

吹奏楽に夢と希望を燃やしながら―――
助安 由吉
(株)エイト社代表取締役
ロケットミュージック(株)顧問
吹奏楽ポップス楽譜の生みの親は服部良一先生と長男の服部克久先生である。
吹奏楽はクラシック中心の世界。
その中に歌謡曲やポップスを入れてバンドの多くの皆さんに喜びを与えられたことが吹奏楽の発展へつながっていく。



⑩トロンボーンを学ぶ

 11回目の転職は、代々木の連れ込み宿の"S荘"でした。ここでは風呂の掃除と風呂炊きが私の仕事でした。現在はラブホテルという名称が一般的ですが、当時は連れ込み宿と言った方がわかりやすかったと思います。特に忙しかった時期は、クリスマスの夜でした。他のどこも満室だったのでしょうが、S荘も満室で、順番待ちのカップルが廊下に椅子を並べて待っている状態でした。私はこのような光景を見たのは初めてでしたので、ただただ驚くばかりでした。将来、演歌の作曲家、もしくは吹奏楽団で楽器を吹くという仕事に就く予定の人間がこのようなことをしていてもよいのだろうか・・・と思っていました。
 そこの連れ込み宿では、高い料金の部屋には風呂が付いていますが、ほとんどの部屋には風呂は付いていませんでした。私はお客さまが風呂付きの部屋を退室されたら、風呂の洗い場をきれいに掃除していました。そこで何回も何回も不思議だなぁと思ったことがありました。風呂の中に白い塊が浮いているのです。何だかわからなかったので、部屋の片づけなどをしている女給さんに風呂まで来てもらい「この白い塊は何ですか?」と聞きました。すると「これは男性の精液なんだよ」と教えてくれたのです。どうして風呂の中でするのか私はとても不思議でした。そして次から次へとお客さまは入れ替わるので、お湯を入れ替える時間がありません。ですのでその男性の精液をすくい取って捨てて、次の2人を入室させていました。それを何回も何回も繰り返していました。大体、4割くらいが風呂の中で精液を出しているのです。私は普通では学べないことをここで学びました。更に大変なことが起きました。それは、トイレの排水が詰まり、あふれてしまったことです。このような時は、太い針金を排水溝に入れ込み、中をかき出します。そこには大便もついているので、とても大変な仕事でした。ここが詰まる原因は、コンドームなのです。使ったあとにゴミ箱に入れず、トイレに流してしまうお客さまがいたのです。これだけはやって欲しくないと強く思っていました。
 風呂炊きで忙しい時間帯は夕方から夜遅くまでです。昼間は比較的ひまです。こんな時には帳場のお姉さんに許可をとれば外出することができました。風呂炊きの仕事は、数ある転職の中では長く続いた仕事でした。少ない給料ではありましたが、あこがれの本物のトロンボーンを中古で買いました。これから吹奏楽団に入るには、一応楽器は吹けるようにしなくてはならないと思ったからです。しかし、教えてもらわなければ楽器は吹けません。そこで、教えてくれる人を調べてみましたら、日本でもトロンボーン奏者として有名な東本安博さんという方に連絡がとれて、出張して教えていただけることになったのです。そしてS荘の屋上の物干し場で教えてもらうことになりました。指導料は高かったので何回も来てもらうことはできませんでしたが、この東本先生から教えていただいたことはその先、大いに役に立ちました。
 私は楽典をほぼ身に付けていたのですが、それがかえって楽器を吹くのを難しくしていました。私は楽譜を読むとき、移動ド法という楽典を中心としていたのですが、東本先生からは「そんなことをしていると演奏ができなくなるよ」と教えてくださり「これからは固定ド法でいきなさい」とアドバイスをいただいたのです。それからは楽譜に付いている#(シャープ)♭(フラット)の音を中心にしたやり方がとても簡単で進歩は著しいものでした。東本先生に出会わなければ、陸上自衛隊の第1管区音楽隊に入隊したときに、譜面を読むことは大変だったと思います。これでトロンボーンのポジションを覚え、音さえ出るようにすれば楽譜は簡単に読むことができます。東本先生にはS荘に3~4回出向いてもらい、アドバイスをしていただきました。そして簡単な曲なら吹けるようになりました。私はようやくあこがれの楽器が吹けるようになりました。そしてこれがのちに(株)ミュージックエイトを創立し、吹奏楽界に歌謡曲やポピュラーソングを取り入れて新風を吹き込む元になったのです。東本先生は私にとりましても、(株)ミュージックエイトにとりましても大恩人の1人なのです。
 S荘の私の部屋は屋根裏部屋で三角になっていました。4階建ての4階部分です。三角なので立てない場所もあり、とても窮屈な部屋でした。トロンボーンの練習は、そのまま音を出すと周囲の人にご迷惑をかけてしまうので、ミュート(弱音器)を使っての練習です。当時、私は夢が叶いそうなので、元気はつらつとしていました。
 そんな中だったのですが、ある時私は風邪をひいてしまいました。風呂炊きの仕事をすることもできず、熱は40度もあってフラフラで歩くことさえできませんでした。寝たままでどうすることもできません。S荘の主人は「働かない人には食事は与えてはならない」と帳場のMさんに言っていたために、食事は与えられませんでした。私はこの時に「こんなところで死んでたまるものか」と熱にうなされながらも気持ちだけは強く持っていました。「絶対に負けるもんか」「絶対に勝ち抜くんだ」熱にうなされながらもこのように思っていました。しかし、2日目から空腹が激しくなり、何でもよいから食べたいと思いはじめ、そして3日目の夕方、帳場のMさんに「もう風邪は治りましたので仕事をします」と宣言をし、3日目にようやく念願の夕食にたどりついたのです。当然フラフラは治ってはいませんでした。
 風呂炊きはボイラーですので、そんなに大変ではないのですが、部屋の風呂と大風呂の仕事はフラフラで目の前が真っ暗になりながらやっていました。その都度、吹奏楽団に入りトロンボーンを吹く自分の姿をイメージすると、急に真暗闇が明るくなりました。この時も「気の持ちようでどうにでもなるんだなー」ということを実感することができました。この気持ちが唯一の救いだったのです。




吹奏楽が生きる力となり 夢と希望となる
吹奏楽は皆さまの体であり、皆さまの血や肉であり、皆さまの精神であり、永遠に尽きることのない魂たちです。
クラシックが中心の吹奏楽界の中で、歌謡曲やポピュラーソングを入れ、このように大発展ができたのは、バンドの皆さまのお力のおかげです。
全国のバンドの皆さまに心からありがとうと言う以外に言葉はありません。


助安 由吉



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